唯識派とは
唯識派とは、唯識(ゆいしき)の教学をもつ学派で、無著(アサンガ)や世親(ヴァスバンドゥ)により大成され、大乗仏教において中観派と並ぶ2大潮流となりました。
唯識とは文字通り「唯(ただ)識のみ」という意味です。「識」とは人間の精神活動一般(こころ)を指すので、「こころ」以外に何も存在しないというのが根本的な考え方です。
唯識とは
唯識では、あらゆる存在は8種の「識」によって成り立っていると考え、8種の識とは、5種の感覚(前五識)、意識、2層の無意識を指します。
あらゆる存在は、個人的に認識された「識」でしかなく、それら存在は主観的な存在であり、客観的な存在ではないと考えます。あらゆる存在は無常であり、「空」であり、実体のないものと説きます。
8種の識は以下になります。
前五識 | 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5感 |
意識 | 自覚的意識、前五識と合わせて六識と呼ばれます |
末那識(まなしき) | 潜在意識 |
阿頼耶識 (あらやしき) |
前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体や、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているもの生み出す |
阿頼耶識
阿頼耶識とは、自己の根元的・究極的な存在であり、同時に輪廻の主体です。現実に認められる外的現象と内的精神とは全て、阿頼耶識から生じ、現れたものに過ぎないと考えられています。
阿頼耶識の中にはあらゆる存在を生み出す種子(しゅうじ)が貯えられており、機が熟し縁に触れれば、具体的な現象となって現れ、その現象の影響はすぐに阿頼耶識の中に貯えられます。
阿頼耶識の3つの特質を持ちます。
- 存在的側面
阿頼耶識は、あらゆる存在を生み出す根元です。例えば、自己を取り巻く自然界、自己の肉体、感覚・知覚・思考などの主観的認識作用は全て阿頼耶識から変化して生じたものと考えます。 - 認識的側面
阿頼耶識は、認識対象と認識作用を持ちます。その認識作用は、意識で認識できない微かなもので、一般に深層心理と言われていますが、決して休止することなく活動していると考えられます。 - 実践的側面
阿頼耶識は、善あるいは悪を成さしめる基体です。悪から善へ向かうための媒体または動力源であり、倫理的・実践的な意味における根元体と考えられます。
唯識無境
唯識無境とは、存在するのはただ精神活動であり、物質的な外的事物は存在しないとする考え方です。これを裏付ける1つの根拠に禅定体験があります。
精神をある1つの対象に集中し、心が静寂状態(禅定)になると、自己の心に現れる対象の姿は、自己の心以外の何ものでもないと観ずるようになると言われています。
もちろん、これは禅定という特殊な心理状態での体験と指摘もあるかもしれませんが、仏教的な見地からすれば、禅定による体験はそうあるべき本来的世界であり、事物の本質をより正しく把握できる心理状態であると考えます。