概要
浄土教は、阿弥陀仏の極楽浄土に往生し成仏することを説く宗派で、6世紀の中国で成立しました。日本へは7世紀に伝わり、日本十三宗の1つとなっています。本尊は、鎌倉の大仏で知られる阿弥陀仏です。
- 時代:6世紀~
- 宗祖:曇鸞(どんらん)、道綽(どうしゃく)、善導
- 所依:無量寿経など浄土三部経
浄土思想が生まれたのは、紀元100年頃のインドにおいて、「無量寿経」や「阿弥陀経」が編纂された時期とされています。また、浄土往生の思想を述べた論書としては、龍樹の「十住毘婆沙論」などが挙げられます。
中国では2世紀後半から浄土教関係の経典が伝えられ、5世紀頃には初期の浄土教の広がりを見せます。6世紀なると、曇鸞が浄土関連の註釈書を著し、宗派としての浄土教が成立していきました。
尚、浄土三部経の1つである「観無量寿経」 は、サンスクリット語の原典が発見されておらず、おそらく4~5世紀頃に中央アジアで大綱が成立し、それが中国に伝わり経典が作られたと推定されています。
教義
浄土思想
浄土とは、煩悩や穢れが無く、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣も無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のことです。煩悩に穢されている衆生が住む国土である穢土(えど)と対比となる言葉です。
浄土には阿弥陀如来の西方極楽浄土、薬師如来の東方浄瑠璃浄土、大日如来の密厳浄土などの種々あるとされていますが、浄土教では主として、西方極楽浄土のことを指します。
浄土思想とは、阿弥陀仏の本願に基づいて、念仏(南無阿弥陀仏)によって極楽浄土に往生し、成仏することを説く教えです。浄土信仰は、阿弥陀信仰とも西方信仰とも呼ばれます。
末法思想
末法思想とは、釈尊の入滅から2千年が経過した時代を「末法」とし、教法が衰退し、修行を行っても、悟りを得ることは不可能であるとする考え方です。末法思想はインドには無く、中国の南北朝時代に成立し、日本に伝播したと考えられています。
末法の時代は日本の平安時代末期に当り、死後の極楽浄土への往生を求める風潮が高まり、鎌倉時代にかけて浄土教が急速に広まることとなりました。
他力本願
他力本願とは、自らの修行によって悟りを得るのではなく、阿弥陀仏の本願に頼って成仏することを意味しています。そのため、ここでの他力は阿弥陀仏を指しており、”他人任せ” という意味ではないことには注意が必要です。
また、本願とは、あらゆる人々を仏に成らしめようとする願いであり、人間の欲望を満たすような願いのことではないとされます。
日本の浄土教
7世紀前半に日本に浄土教(浄土思想)が伝えられ、阿弥陀仏の造像が盛んになりました。
源信
源信(10~11世紀)は、日本人の浄土観・地獄観に影響を与えた「往生要集」を著し、念仏思想の基礎を築いたとされています。極楽浄土への往生の具体的な方法を論じ、内容が実践的で解り易かったため、広く庶民に広まりました。
法然
法然(12~13世紀)は、日本の浄土宗の宗祖で、一心に専ら弥陀の名を称え、いつ何処でもこれを念頭に置き継続する事が往生への道である(専修念仏)と説きました。
法然撰述の「選択本願念仏集」は、浄土宗の根本聖典であり、死の直前に書かれた「一枚起請文」は、浄土宗の教えの要である称名念仏の意義について簡潔な説明がされています。
親鸞
親鸞(12~13世紀)は、師である法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを継承し、浄土真宗の宗祖とされています。親鸞によって著された「教行信証」は浄土真宗の根本聖典とされています。
唯円(ゆいえん)により著された「歎異抄」は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に起こった親鸞の教え(専修念仏)とは異なる教義を嘆き、親鸞の教えを忠実に伝えようという意図があります。
一遍
一遍(13世紀)は、時宗の開祖とされます。衆生は、はるか昔の法蔵比丘の誓願によって救われているのであるから、「南無阿弥陀仏」が書かれた札(賦算)を民衆に配り、念仏を唱えることのみで極楽往生できると説きました。