第六 虚実篇
孫子曰く、凡そ先に戦地に処りて敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。能く敵人をして自ら至らしむるは、之を利すればなり。能く敵人をして至るを得ざらしむるは、之を害すればなり。故に敵佚すれば能く之を労し、飽けば能く之を饑えしめ、安んずれば能く之を動かす。 |
孫子は言った。先に戦場に着いて敵を待つのは楽であるが、後から戦場に着いて戦うのは大変である。戦の巧みな者は、敵を思い通りにするが、敵の思い通りにされることはない。敵が自分から出てくるようにできるのは、敵の利益になることを示しているからであり、敵が出てこれないようにできるのは、敵の損害になることを示しているからだ。だから、敵が休息していれば疲労させ、充足していれば欠乏させ、停留していれば誘い出すことができる。
其の趨かざる所に出で、其の意わざる所に趨く。千里を行きて労せざるは、無人の地を行けばなり。攻めて必ず取るは、其の守らざる所を攻むればなり。守りて必ず固きは、其の攻めざる所を守ればなり。故に善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず。微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命を為す。 |
敵が出てくるような所に出向き、敵の思いもしない所に赴き、長い道程を進んでも疲れないのは、敵のいない土地を行軍するからである。攻めて必ず奪い取れるのは、敵が守っていない所を攻めるからであり、守って必ず破られないのは、敵が攻めていない所を守るからである。そのため、攻撃の巧みな者は、敵はどこを守ったらよいか分からず、守備が巧みな者は、敵はどこを攻めたらよいか分からない。微細にして形はなく、神秘にして音もなく、敵の命運を握る者となる。
進みて禦ぐ可からざるは、其の虚を衝けばなり。退きて追う可からざるは、速やかにして及ぶ可からざればなり。故に我戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすと雖も、我と戦わざるを得ざるは、其の必ず救う所を攻むればなり。我戦いを欲せざれば、地を画して之を守るも、敵、我と戦うを得ざるは、其の之く所に乖けばなり。 |
進軍しても敵が防げないのは、敵の隙を突いているからであり、後退しても敵が追撃しないのは、速くて敵が追いつけないからである。こちらが戦いたいときは、敵が壁を高くし、堀を深くしていても、戦わざる得なくなるのは、敵が助けを求めるところを攻めるからである。こちらが戦いたくないときには、土地を区切って守るだけで、戦うことができないのは、敵の進路を混乱させているからである。
故に人を形せしめて我に形なければ、則ち我は専まりて敵は分かる。我は専まりて一と為り、敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我は衆くして敵は寡し。能く衆を以て寡を撃てば、則ち吾の与に戦う所の者は約なり。吾が与に戦う所の地は知る可からず。知る可からざれば、則ち敵の備うる所の者多し。敵の備うる所の者多ければ、則ち吾が与に戦う所の者は寡し。故に前に備うれば則ち後ろ寡く、後ろに備うれば則ち前寡く、左に備うれば則ち右寡く、右に備うれば則ち左寡し。備えざる所無ければ、則ち寡からざる所無し。 |
だから、敵に布陣を取らせて、自軍の布陣を隠せば、自軍は敵に集中することができるが、敵は分散してしまう。自軍は集中して一つとなり、敵軍が十に分散してしまえば、自軍の十で敵の一を攻めることになる。つまり、自軍は大勢であり、敵は小勢である。大勢で小勢を攻撃できるから、戦う相手は弱小である。こちらが戦う場所や時期が敵に分からなければ、敵が守らなければいけない場所は多くなる。敵が守る場所が多くなれば、敵は小勢になる。だから、前方を備えれば後方は小勢になり、後方を備えれば前方が小勢になる、左を備えれば右が小勢になり、右を備えれば左が小勢になり、全ての場所に備えれば全て場所が小勢になる。
寡きは人に備うる者なり。衆きは人をして己に備えしむる者なり。故に戦いの地を知り、戦いの日を知れば、則ち千里にして会戦す可し。戦いの地を知らず、戦いの日を知らざれば、則ち左は右を救うこと能わず、右は左を救うこと能わず、前は後ろを救うこと能わず、後ろは前を救うこと能わず。而るを況んや遠きは数十里、近きは数里なるをや。吾を以て之を度るに、越人の兵は多しと雖も、亦た奚ぞ勝敗に益あらん。故に曰く、勝は為す可きなり。敵は衆しと雖も、闘うこと無からしむ可し。 |
小勢になるのは相手に備える立場だからで、大勢になるのは相手に備えさせる立場だからである。戦う場所と日時を分かったのなら、長い距離でも進軍して戦うべきである。戦う場所や日時が分からなければ、たとえ戦をしても、左軍は右軍を助けることができず、右軍は左軍を助けることができず、前方の軍は後方を助けることができず、後方の軍は前方を助けることができない。だから、遠い場所で数十里、近い場所で数里先であっても同様である。私が思うに、兵士の数がどんなに多くても勝利には関係ない。敵がいくら大勢でも、戦えないようにすればよいのだ。
故に之を策りて得失の計を知り、之を作して動静の理を知り、之を形して死生の地を知り、之に角れて有余不足の処を知る。故に兵を形すの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺うこと能わず、智者も謀ること能わず。形に因りて勝を衆に錯くも、衆は知ること能わず。人皆我が勝つ所以の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ること莫し。故に其の戦い勝つや復びせずして、形を無窮に応ず。 |
そこで、戦の前に敵情を調べて戦いの結果を測り、敵軍を動かしてその行動の規準を知り、敵の態勢を把握して敵軍の死活に関わる場所を知り、敵と小競り合いをして、敵軍の優勢な場所と手薄な場所を知るのである。だから、軍の究極の態勢は無形であることだ。無形であれば、自軍に潜入した間諜も探ることができず、智謀のある者でも見抜くことができない。相手の形勢が分かれば勝利を得ることができるが、一般の人々にはそれが分からない。人々は勝利した時の形勢については分かるが、勝利を決定した原因は分からない。だから、戦いの勝ち方に同じものはなく、敵の形勢に応じて無限に変化するのである。
夫れ兵の形は水に象る。水の形は高きを避けて下きに趨き、兵の形は実を避けて虚を撃つ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。故に兵に常勢無く、水に常形無し。能く敵に因りて変化して勝を取る者、之を神と謂う。故に五行に常勝無く、四時に常位無く、日に短長有り、月に死生有り。 |
軍の形勢は水に似ている。水は高い所を避けて低い所へ流れる。軍の形勢も敵が充実した所を避けて手薄な所を攻撃する。水は地形によって流れを決めるが、軍は敵情によって勝利を決める。だから、軍には一定の形勢というものはなく、水にも一定した形というものがない。敵情に応じて変化して勝つことができる。これが神妙な兵法である。だから、陰陽五行にも常に勝つことはなく、四季は止まることがなく、日の長さには長短があり、月には満ち欠けというものがある。
第七 軍争篇
孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、将、命を君より受け、軍を合し衆を聚め、和を交えて舎まるに、軍争より難きは莫し。軍争の難きは、迂を以て直と為し、患を以て利と為す。故に其の途を迂にして、之を誘うに利を以てし、人に後れて発し、人に先んじて至る。此れ迂直の計を知る者なり。 |
孫子は言った。戦の原則は、将軍が君主からの命令を受けて、軍を統率し兵を集め、敵と対峙するまでに機先を制そうとする軍争ほど難しいものはない。軍争の難しさは、曲がった道をまっ直ぐな道に変え、不利を有利に変えるところにある。だから、遠回りを見せかけ、敵を利益でおびき出し、敵より遅れて出発して、敵より先に到着するのである。これが、遠回りを近道にする計略を知る者である。
故に軍争は利たり、軍争は危たり。軍を挙げて利を争えば則ち及ばず、軍を委てて利を争えば則ち輜重捐てらる。是の故に甲を巻きて趨り、曰夜処らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争えば、則ち三将軍を擒にせらる。勁き者は先だち、疲るる者は後れ、其の法、十にして一至る。五十里にして利を争えば、則ち上将軍を蹶す。其の法、半ば至る。三十里にして利を争えば、則ち三分の二至る。 |
だから、軍争は利益をもたらすが危険ももたらす。全軍で有利な地に取ろうとすれば敵に遅れてしまい、軍の陣形を無視すれば、補給部隊が置き去りにされてしまう。そのため甲冑を外して走り、昼夜も休まず急ぎ、倍の道程を進み、百里先の利益を争えば、三軍の将軍が捕虜にされるだろう。体力のある者が先行し、疲れた兵士が取り残され、十人に一人しか到達できないからである。五十里先の利益を争えば、先行する将軍が倒れ、半分の兵士しか到達できない。三十里先の利益を争えば、三分の二の兵士が到達できる。
是の故に軍に輜重無ければ則ち亡び、糧食無ければ則ち亡び、委積無ければ則ち亡ぶ。故に諸候の謀を知らざる者は、予め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。 |
そのため、補給部隊がなければ敗北し、食料がなければ敗北し、財貨がなければ敗北する。敵国の策略を知らない者は、事前に同盟を結ぶことができず、山林・険しい山・沼沢などの地形を知らない者は、軍を進めることはできない。その土地の案内人を使わない者は、地の利を得ることができない。
故に兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如く、郷を掠めて衆を分かち、地を廓めて利を分かち、権を懸けて動く。先ず迂直の計を知る者は勝つ。此れ軍争の法なり。 |
戦は謀略によって成り立ち、利益を求めて動き、分散と統合により変化するものである。だから軍は、風のように迅く進み、林のように静かに潜み、火のように激しく攻め、山のように構えて動かず、暗闇のように存在が知れず、雷のように激しく動く。村落を奪うときは軍を分散し、領土を拡げるときは味方に利益を配分し、利害を考えて動く。遠回りを近道に変える計略を知っている者が勝つ。これが、軍争の原則である。
軍政に曰く、言うとも相聞こえず、故に金鼓を為る。視すとも相見えず、故に旌旗を為る、と。夫れ金鼓・旌旗は、人の耳目を一にする所以なり。人既に専一なれば、則ち勇者も独り進むことを得ず、怯者も独り退くことを得ず。此れ衆を用うるの法なり。故に夜戦に火鼓多く、昼戦に旌旗多きは、人の耳目を変うる所以なり。 |
古い兵法書では、「口で言っても聞こえないから、鍾や太鼓を作り、示しても見えないから、旗や幟(のぼり)を作り」とある。鍾や旗は兵士の耳目を統制するためにある。兵士が統制されていれば、勇敢な者でも勝手に進むことはできず、臆病な者でも勝手に退くことはできない。これが大軍を動かす原則である。だから、夜の戦いには篝火(かがりび)や太鼓が多く、昼の戦いには旗や幟が多いのは、兵士の注意を向けさせるためである。
故に三軍には気を奪う可く、将軍には心を奪う可し。是の故に朝の気は鋭、昼の気は惰、暮れの気は帰。故に善く兵を用うる者は、其の鋭気を避けて、其の惰帰を撃つ。此れ気を治むる者なり。治を以て乱を待ち、静を以て譁を待つ。此れ心を治むる者なり。近きを以て遠きを待ち、佚を以て労を待ち、飽を以て饑を待つ。此れ力を治むる者なり。正々の旗を邀うること無かれ、堂々の陣を撃つこと勿かれ。此れ変を治むる者なり。 |
だから、敵軍の士気を奪い取り、敵将の心を奪い取ることができる。朝は気力が鋭く、昼は気力が緩み、夜は気力が尽きてしまう。戦の巧みな者は、敵の気力が鋭い時を避けて、気力が緩んでいる時を撃つが、これは敵兵の気力を知っているからである。統制された状態で雑然とした敵を撃ち、冷静な状態で混乱した敵を討つが、これは敵兵の心理を知っているからである。戦場の近くで遠方からの敵を待ち受け、十分に休養した状態で疲労した敵を待ち受け、十分に補給した状態で飢えた敵を待ち受ける。旗や幟が整然とした敵とは戦わず、堂々とした陣形の敵は攻めないが、これは敵軍の変化を知っているからである。
第八 九変篇
孫子曰く、故に兵を用うるの法は、高陵には向かう勿かれ、丘を背にするには逆う勿かれ、佯り北ぐるには従う勿かれ、鋭卒には攻むる勿かれ、餌兵には食らう勿かれ、帰師には遏むる勿かれ、囲師には必ず闕き、窮寇には迫る勿かれ。此れ兵を用うるの法なり。 |
孫子は言った。ゆえに用兵の原則は、高い丘にいる敵を攻めてはならなず、丘を背に攻めてくる敵を迎え撃ってはならず、偽りの退却を追ってはならず、士気の高い敵を攻めてはならず、囮の敵兵に食い付いてはならず、母国に退却する敵軍を引き止めてはならない。包囲した敵軍には逃げ道を開けておき、窮地の敵軍を追い詰めてはならない。これが戦いの原則である。
凡そ兵を用うるの法は、将、命を君に受け、軍を合し衆を聚め、圮地には舎ること無く、衢地には交わり合し、絶地には留まること無く、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。塗に由らざる所有り、軍に撃たざる所有り、城に攻めざる所有り、地に争わざる所有り、君命に受けざる所有り。 |
戦争の原則は、将軍が君主からの命令を受けて、軍を統率して兵士を集めて、難しい土地には軍を進ませず、重要な要衝には軍を進ませて、険しい地形には軍を留まらせず、敵に囲まれている地では謀略を仕掛け、絶体絶命の死地では懸命に戦うべきだ。道にも通ってはいけない所があり、敵軍にも撃っていけない所があり、城にも攻めてはいけない所があり、土地にも奪ってはいけない所があり、君主の命令にも従ってはいけない場合がある。
故に将、九変の利に通ずれば、兵を用うることを知る。将、九変の利に通ぜざれば、地形を知ると雖も、地の利を得ること能わず。兵を治めて九変の術を知らざれば、五利を知ると雖も、人の用を得ること能わず。 |
だから、九通りの変化(九変)を利用できる将軍は、用兵を知っている者であり、九変を利用できない将軍は、たとえ戦場の地形を知っていても、地の利を得ることができない。軍を率いるのに九通りの変化を知らなければ、五つの対応を知っていても、兵達を上手く用いることができない。
是の故に智者の慮は、必ず利害に雑う。利に雑えて、務め信ぶ可きなり。害に雑えて、患い解く可きなり。是の故に諸侯を屈する者は害を以てし、諸侯を役する者は業を以てし、諸侯を趨らす者は利を以てす。故に兵を用うるの法は、其の来らざるを恃む無く、吾の以て待つ有るを恃むなり。其の攻めざるを恃む無く、吾の攻む可からざる所有るを恃むなり。 |
智者が考えるときは必ず利害の両面を考える。利益について考える時は、害についても考えるので戦は上手くいくだろう。害について考える時は、利益についても考えるので不安も解消される。このため、諸外国を屈服させるには害になることを仕向け、諸外国を使うには共同事業を与え、諸外国を奔走させるには利益を与えて仕向ける。だから戦の原則は、敵が来ないことを当てにするのではなくて、自軍の十分な備えを頼りにすべきである。敵が攻撃しないことを頼りにするのではなくて、自軍に攻撃されない備えがあることを頼りにすべきである。
故に将に五危有り。必死は殺さる可く、必生は虜とす可く、忿速は侮る可く、廉潔は辱しむ可く、愛民は煩わす可し。凡そ此の五者は将の過ちなり、兵を用うるの災いなり。軍を覆し将を殺すは、必ず五危を以てす。察せざる可からざるなり。 |
将軍には五つの危険がある。必死の覚悟である者は殺され、生きることに執着のある者は捕虜にされ、短気な者は罠には嵌められ、高潔な者は辱められ、兵士に気を使う者は苦労する。この五つの危険は、将軍の過失であり、戦にとっては害になる。軍が全滅して将軍が殺されるのは、必ずこの五つの危険によるもので、十分に注意しなければならない。
第九 行軍篇
孫子曰く、凡そ軍を処き、敵を相るに、山を絶れば谷に依り、生を視て高きに処り、隆きに戦うに登ること無かれ。此れ山に処るの軍なり。水を絶れば必ず水より遠ざかる。客、水を絶りて来らば、之を水の内に迎うること勿く、半ば済らしめて之を撃つは利あり。戦わんと欲する者は、水に附きて客を迎うること無かれ。 |
孫子は言った。軍の駐留と敵情を視察について、山越えをする時は谷沿いを進み、高い場所に陣取り、高い場所にいる敵と戦ってはならない。これは山地に陣取る軍についてである。川を渡った後は必ずその川から遠ざかり、敵軍が川を渡って攻めてきた時は、川の中では迎え撃たずに、敵に半分渡らせてから攻撃するのが利に適っている。戦う場合は、水際で敵を迎え撃ってはならない。
生を視て高きに処り、水流を迎うること無かれ。此れ水上に処るの軍なり。斥沢を絶れば、惟だ亟かに去りて留まること無かれ。若し軍を斥沢の中に交うれば、必ず水草に依りて衆樹を背にせよ。此れ斥沢に処るの軍なり。平陸には易きに処りて、高きを右背にし、死を前にして生を後ろにす。此れ平陸に処るの軍なり。凡そ此の四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。 |
高い場所に陣取り、川の下流から上流の敵を迎え撃っていならない。これは川辺に陣取る軍についてである。沼沢地を越える時には、速く通り過ぎなければならない。もし沼沢地で戦う場合には、必ず飲み水と飼料の草がある森林を背にすべきである。これは沼沢地に陣取る軍についてである。平地では平らな場所に陣取って、高地を右手と背後にし、前方を戦場とし、後方を安全な場所とする。これは平地に陣取る軍についてである。この四つの軍の駐留方法が、黄帝が四人の帝王に勝つことができた理由である。
凡そ軍は高きを好みて下きを悪み、陽を貴びて陰を賤しみ、生を養いて実に処る。軍に百疾無くんば、是を必勝と謂う。丘陵・隄防には、必ず其の陽に処りて、之を右背にす。此れ兵の利、地の助けなり。 |
軍を駐留させるには高地はよいが低地は悪く、日当たりよい場所を選び日当たりの悪い場所は避けるべきである。草木などが生えた豊かな土地に居り、疫病が蔓延しなければ、これが必勝の軍である。丘陵や堤防などでは必ずその東南に位置し、それを右手の背後にする。これが戦が有利になる地形を利用した陣取りである。
上に雨ふりて、水沫至らば、渉らんと欲する者は、其の定まるを待て。凡そ地に、絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙有らば、必ず亟かに之を去りて、近づくこと勿かれ。吾は之に遠ざかり、敵は之に近づかせ、吾は之を迎え、敵は之に背にせしめよ。軍行に険阻・潢井・葭葦・山林・翳薈有れば、必ず謹んで之を覆索せよ。此れ伏姦の処る所なり。 |
上流で雨が降って川の水嵩が増えている時に、川を渡ろうとするならば、川の流れが落ち着くまで待ったほうがよい。地形には絶壁の谷間、天然の井戸、天然の牢獄、天然の捕獲網、天然の落とし穴、天然の隙間があるときは、必ず速く立ち去って、近づいてはならない。自軍はそこから遠ざかり、敵軍をそこに近づくように仕向け、自軍はそれを迎え撃ち、そこを敵軍の背後にさせるのがよい。行軍の先に険しい地形や池、窪地、葦の原、山林、草木の繁茂した場所があれば、必ず慎重に探索せよ。これらに伏兵や斥候が隠れやすい場所である。
敵近くして静かなるは、其の険を恃むなり。遠くして戦いを挑むは、人の進むを欲するなり。其の居る所の易きは、利あるなり。衆樹の動くは、来るなり。衆草の障多きは、疑なり。鳥の起つは、伏なり。獣の駭くは、覆なり。塵高くして鋭きは、車の来るなり。卑くして広きは、徒の来るなり。散じて条達するは、樵採するなり。少なくして往来するは、軍を営むなり。 |
敵が近くに居るのに静かなのは、その地形の険しさに頼っているからである。遠くに居ながら戦いを仕掛けるのは、こちらの進撃を求めているからである。敵が平地に陣を構えるのは、こちらを誘い出そうとしているからである。樹々がざわめくのは、敵が攻めて来たからで、草が積み重ねてあるのは、伏兵が居るように見せかけるためである。鳥が飛び立つのは、そこに伏兵がいるからで、獣が驚いて走るのは、奇襲の兆しである。埃が高く舞い上がるのは、戦車が攻めてくるからで、低く広がっているのは、歩兵が攻めてくるからで、いくつも細い筋のようにあるのは、薪を取っているからで、少し動いているのは、軍が陣を設営しているからである。
辞卑くして備えを益すは、進むなり。辞疆くして進駆するは、退くなり。軽車先に出でて、其の側に居るは、陣するなり。約無くして和を請うは、謀るなり。奔走して兵車を陳ぬるは、期するなり。半進半退するは、誘うなり。 |
敵の使者の言葉が謙虚で、防御に専念しているように見えるのは、逆に進撃してくる兆しである。敵の使者の言葉が強気で、進撃してくるように見えるのは、逆に退却する兆しである。戦闘用の軽車を前に出して両側に構えているのは、陣を立て直しているのである。困窮していないのに和解を申し出るのは謀略である。慌ただしく軍を編成しているのは、決戦の準備である。中途半端に前進したり後退したりするのは、こちらを誘い出そうとしている。
杖つきて立つは、飢うるなり。汲みて先ず飲むは、渇するなり。利を見て進まざるは、労るるなり。鳥の集まるは、虚しきなり。夜呼ぶは、恐るるなり。軍の擾るるは、将の重からざるなり。旌旗の動くは、乱るるなり。吏の怒るは、倦みたるなり。馬に粟して肉食し、軍に缻を懸くること無く、其の舎に返らざるは、窮寇なり。 |
兵士が杖をついているのは、軍が飢えているからで、水汲みが真っ先に水を飲んでいるのは、軍が水不足だからで、好機なのに進軍しないのは、軍が疲れているからである。鳥が群がっているのは、陣が空なのである。夜に呼び交わす声がするのは、軍が怯えているからで、軍が騒がしいのは、将軍に威厳がないからで、旗が揺れ動いているのは、陣が乱れているからで、役人が怒っているのは、軍が疲弊しているからである。馬が兵糧米を食べ、兵士が肉を食い、陣に鍋釜がなく、幕舎に戻ろうとしないのは、軍が窮地なのである。
諄諄翕翕として、徐に人と言うは、衆を失うなり。数〻賞するは、窘しむなり。数〻罰するは、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るるは、不精の至りなり。来りて委謝するは、休息を欲するなり。兵怒りて相迎え、久しくして合せず、又相去らざるは、必ず謹みて之を察せよ。 |
将軍が控えめな口調で話をしているのは、兵士の信頼を失っており、度々褒賞を与えるのは、士気の低下に苦慮しており、度々懲罰を与えるのは、統制を失い困惑しているのである。初めに兵を乱暴に扱っておきながら、後で兵の離反を恐れるのは、最も配慮ができていない軍である。わざわざ出向いてきて贈り物を渡して謝罪するのは、軍を暫く休養させたいのである。敵が攻撃を仕掛けて来ながら、しばらく合戦をせず、しかし撤退もしない場合ば、必ず慎重に敵の真意に観察せよ。
兵は多きを益とするに非ざるなり。惟だ武進すること無く、以て力を併せて、敵を料るに足らば、人を取らんのみ。夫れ惟だ慮り無くして敵を易る者は、必ず人に擒にせらる。卒、未だ親附せざるに而も之を罰すれば、則ち服せず。服せざれば、則ち用い難きなり。 |
戦は兵の数が多いほど有利というものではない。軍を猛進させないようにして、味方の戦力を集中させ、敵情を考え計っていけば、十分に勝利できる。しかし、よく考えず敵を侮ると、必ず敵の捕虜にされるだろう。兵がまだ将軍を信頼していないのに、懲罰を行えば兵は心服せず、心服しなければ用いることは難しい。
卒、已に親附せるに而も罰行われざれば、則ち用う可からざるなり。故に之に令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是を必取と謂う。令、素より行われて以て其の民を教うれば、則ち民服す。令、素より行われずして以て其の民を教うれば、則ち民服せず。令、素より行わるる者は、衆と相得るなり。 |
兵がすでに将軍を心服しているのに懲罰を行わなければ、逆に十分に活用することができない。だから、軍では褒賞により心服させ、懲罰により統制するが、これが必勝の軍なのである。普段から法令が守られていれば、兵は命令に従うが、法令が守られていなければ、命令しても従わない。普段から法令を守る者が、兵士の信頼を得られるのである。