第十 地形篇
孫子曰く、地形には、通なる者有り、挂なる者有り、支なる者有り、隘なる者有り、険なる者有り、遠なる者有り。我以て往く可く、彼以て来る可きを通と曰う。通なる形には、先ず高陽に居り、糧道を利し、以て戦えば則ち利あり。以て往く可く、以て返り難きを挂と曰う。挂なる形には、敵に備え無ければ、出でて之に勝ち、敵若し備え有れば、出でて勝たず、以て返り難くして不利なり。我出でて不利、彼も出でて不利なるを支という。支なる形には、敵、我を利すと雖も、我出づること無かれ。 |
孫子は言った。地形には、通じ開けたもの、障害のあるもの、枝分かれしたもの、狭いもの、険しいもの、遠方のものがある。こちらが進むことができ、敵も来ることができる道を、通じて開けた地形という。通じて開けた地形では、敵より先に高い日当たりよい場所に陣取り、補給路を守って戦えば有利である。行くのは簡単だが戻るのが難しい道を、障害のある地形という。障害のある地形では、敵に備えがなければ攻めれば勝てるが、敵に十分な備えがあれば攻めても勝てず、更に引き返すのも難しいので不利になる。こちらから進んでも不利、敵から来ても不利になる道を、分かれ道の多い地形という。分かれ道の多い地形では、敵が私たちに有利なように見せても、進んではならない。
引きて之を去り、敵をして半ば出でしめて之を撃つは利なり。隘なる形には、我先ず之に居れば、必ず之を盈たして以て敵を待つ。若し敵先ず之に居り、盈つれば而ち従うこと勿かれ、盈たざれば而ち之に従え。険なる形には、我先ず之に居れば、必ず高陽に居りて以て敵を待つ。若し敵先ず之に居れば、引きて之を去りて従うこと勿かれ。遠なる形には、勢い均しければ以て戦いを挑み難く、戦えば而ち不利なり。凡そ此の六者は、地の道なり。将の至任、察せざる可からず。 |
軍を引いてその場を去り、敵を半分ほど追って来させてから反撃すれば有利である。狭い道の地形では、自軍が先にその場を占拠して、兵を配置して敵を待つのがよい。もし敵が先にその場を占拠して、兵を配置している場合は攻めてはならないが、敵兵が配置されていなければ攻めてよい。狭い地形では、自軍が先にその場を占拠して、兵を配置して敵を待つのがよい。もし敵が先にその場を占拠して、兵を配置している場合は攻めてはならないが、敵兵が配置されていなければ攻めてよい。険しい地形では、自軍が先にその場を占拠して、日当たりのよい場所に陣取り、敵を待ち構えるのがよい。もし敵が先にその場を占拠していたら、自軍を引いて立ち去り、攻めてはいけない。遠方の地形では、両軍の兵力が同等であれば、戦いを仕掛けるのは難しく、攻めても不利になる。この六つは地形の道理である。将軍の重大な責務として、地形に応じた戦術をよく考えなければならない。
故に兵に走なる者有り、弛む者有り、陥る者有り、崩るる者有り、乱るる者有り、北ぐる者有り。凡そ此の六者は、天の災いに非ず、将の過ちなり。夫れ勢い均しくして、一を以て十を撃つを走と曰う。卒強く吏弱きを弛と曰う。吏強く卒弱きを陥と曰う。 |
軍には、逃走するもの、弛むもの、落ち込むもの、崩れるもの、乱れるもの、敗走するものとがある。この六つは、自然の災害ではなく将軍の過失である。両軍の勢力が同等なのに、一の兵力で十の兵力の軍を攻撃するのを、逃走する軍という。兵士が強くて取り締まる役人が弱いのを、弛む軍という。取り締まる役人が強くて兵士が弱いのを、落ち込む軍という。
大吏怒りて服せず、敵に遇えば懟みて自ら戦い、将は其の能を知らざるを崩と曰う。将弱くして厳ならず、教道も明らかならず、吏卒常無く、兵を陳ぬること縦横なるを乱と曰う。将、敵を料ること能わず、少を以て衆に合わせ、弱を以て強を撃ち、兵に選鋒無きを北と曰う。凡そ此の六者は、敗の道なり。将の至任にして、察せざる可からず。 |
役人の長が怒って将軍に従わず、敵に遭遇しても勝手に戦い、将軍がその役人の能力を知らないのを、崩れる軍という。将軍が弱気で厳しさがなく、軍規が不明確で、役人も兵士も規律が無く、軍の陣形が出鱈目なのを、乱れる軍という。将軍が敵情に疎く、少数の兵で大軍を攻め、弱兵で強敵に当たり、精鋭を集めた先鋒がいないのを、敗走する軍という。この六つのものは、敗北する道理である。将軍の最も重大な責務として、よく考えなければならない。
夫れ地形は、兵の助けなり。敵を料りて勝を制し、険阨・遠近を計るは、上将の道なり。此を知りて戦いを用うる者は必ず勝ち、此を知らずして戦いを用うる者は必ず敗る。故に戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うとも、必ず戦いて可なり。戦道勝たずんば、主は必ず戦えと曰うとも、戦う無くして可なり。故に進んで名を求めず、退いて罪を避けず、唯だ人を是れ保ちて、利の主に合うは、国の宝なり。 |
地形は戦の助けとなるものである。敵情を予測して勝算を立て、地形が険しいか平らか、遠いか近いかを考えるのが将軍の責務である。これを理解した者は必ず勝ち、理解しない者は必ず敗れる。戦の道理から勝算があれば、たとえ君主が戦うなと命じても、戦ってもよく、戦の道理から勝算がなければ、たとえ君主が戦えと命じても、戦わないほうがよい。進軍しても功を求めず、退却しても罪を恐れず、ただ人民を守ることを考え、君主の利益にも合う将軍は、国の宝である。
卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴く可し。卒を視ること愛子の如し、故に之と倶に死す可し。厚くして使うこと能わず、愛して令すること能わず、乱れて治むること能わざれば、譬えば驕子の若く、用う可からざるなり。 |
将軍が兵士を幼児のように見るから、兵士は深い谷の底にまで将軍に従っていく。将軍が兵士を我が子のように見るから、兵士は将軍と一緒に死んでも構わないと思う。しかし、厚遇するだけでは兵士に仕事をさせることはできず、可愛がるだけでは命令することができず、勝手を許して規律に従わせられなければ、我ままな子供のようなもので、兵士を上手く使うことができない。
吾が卒の以て撃つ可きを知るも、敵の撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つ可きを知るも、吾が卒の以て撃つ可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。敵の撃つ可きを知り、吾が卒の以て撃つ可きを知るも、地形の以て戦う可からざるを知らざるは、勝の半ばなり。故に兵を知る者は、動いて迷わず、挙げて窮せず。故に曰く、彼を知り己を知れば、勝、乃ち殆うからず。天を知り地を知れば、勝、乃ち窮まらず。 |
自軍の攻撃の強さを知っていても、敵に備えなく、攻撃できる状況かどうかを知らなければ、勝敗は半々である。敵に備えなく、攻撃できる状況であることを知っていても、自軍の攻撃の強さを知らなければ、勝敗は半々である。敵に備えがなく、攻撃できる状況であることを知り、自軍の攻撃の強さを知っていても、地形が戦うべき場所かどうかを知らなければ、やはり勝敗は半々である。だから、戦いに優れた人は、用兵に迷いがなく、戦っても窮地に追い込まれることがない。敵を知り、己を知れば、勝ちは揺らがず、地の利を知り、天の時を知れば、常に勝つことができると言われている。
第十一 九地篇
孫子曰く、兵を用いるの法に、散地有り、軽地有り、争地有り、交地有り、衢地有り、重地有り、圮地有り、囲地有り、死地有り。諸侯自ら其の地に戦うを散地と為す。人の地に入りて深からざる者を軽地と為す。我得れば則ち利あり、彼得るも亦た利ある者を争地と為す。我以て往く可く、彼以て来る可き者を交地と為す。諸侯の地三属し、先に至れば天下の衆を得る者を衢地と為す。人の地に入ること深く、城邑を背にすること多き者を重地と為す。 |
孫子は言った。戦には、散地・軽地・争地・交地・衢地(くち)・重地・己地(ひち)・囲地(いち)・死地の九つがある。諸侯が自国の領地で戦うのが「散地」である。敵の領地に深く侵入していない状態が「軽地」である。自軍が取れば自軍に有利になり、敵が取れば敵に有利になるのが「争地」である。こちらからも行けるし、敵からも来ることができるのが「交地」である。諸侯の領地と四方で接していて、先に取れば天下の民衆を掌握できるのが「衢地」である。敵の領地に深く侵入して、複数の敵の城や村を背後にしているのが「重地」である。
山林・険阻・沮沢を行くこと、凡そ行き難きの道なる者を圮地と為す。由りて入る所の者隘く、従りて帰る所の者迂にして、彼寡にして以て吾の衆を撃つ可き者を囲地と為す。疾く戦えば存し、疾く戦わざれば亡ぶ者を死地と為す。是の故に散地には則ち戦うこと無く、軽地には則ち止まること無く、争地には則ち攻むること無く、交地には則ち絶つこと無く、衢地には則ち交わりを合わせ、重地には則ち掠め、圮地には則ち行き、囲地には則ち謀り、死地には則ち戦う。 |
山林や険しい地形、沼沢など、進むのが難しい道が「己地(ひち)」である。入口が狭く、戻り道が遠回りであり、小数の敵で大勢の自軍が攻撃される危険があるのが「囲地」である。必死に戦えば生き残るが、必死に戦わなければ全滅するのが「死地」である。だから、散地では戦ってはならず、軽地では留まってはならず、争地では敵が先に到着していれば戦ってはならず、交地では自軍を分断してはならず、衢地では諸侯と同盟を結び、重地では掠奪し、己地では早く通り過ぎて、囲地では謀略を働かせ、死地では奮戦すべきである。
所謂古の善く兵を用うる者は、能く敵人をして前後相及ばず、衆寡相恃まず、貴賤相救わず、上下相収めず、卒離れて集まらず、兵合して斉わざらしむ。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。 |
昔の戦の巧みな者は、敵軍に前後の連絡を取らせず、大部隊と小部隊を連携させず、身分の高い者と低い者が救い合えず、上下の者が助け合えず、敵兵を離散させて集合させず、集合しても陣形を整えられないようにする。そして、戦いに利益があれば動き、利益がなければ待ったのである。
敢えて問う、敵衆く整いて将に来らんとす。之を待つこと若何、と。曰く、先ず其の愛する所を奪わば、則ち聴かん。兵の情は速やかなるを主とす。人の及ばざるに乗じ、虞らざるの道に由り、其の戒めざる所を攻むるなり。 |
あえて問うが、大軍の敵が整然として攻めて来ようとしている時は、どう対処すればよいか。答えは、敵の大事なものを奪い取れば、こちらの思う通りになるだろう。戦で重要なのは迅速さである。敵の準備ができていない時に、思いもよらない方法を使い、敵が警戒していない所を攻撃すべきである。
凡そ客たるの道は、深く入れば則ち専らにして、主人克たず。饒野に掠むれば、三軍食足る。謹み養いて労すること勿く、気を併せ力を積み、兵を運らして計謀し、測る可からざるを為し、之を往く所無きに投ずれば、死すとも且つ北げず、死焉んぞ得ざらん、士人力を尽くす。兵士甚だ陥れば則ち懼れず、往く所無ければ則ち固く、深く入れば則ち拘し、已むを得ざれば則ち闘う。 |
敵の領土に入った場合の原則は、深く侵入するほど味方は団結するので、敵は抵抗できず、豊かな土地を奪えば、自軍の食糧を賄える。兵士を養い疲れさせないようにし、士気を高めて戦力を蓄え、軍を計略により動かし、敵からは分からないようにし、自軍を逃げ場のない状況にすれば、兵士は死んでも敗走することはない。士卒ともに力を尽くして戦えば、どうして勝てないことがあろうか。兵士は非常に危険な状況に陥れば反って恐怖を感じなくなり、逃げ場がなければ団結が固くなり、敵の領土に深く入ると統制が取れ、戦うしかないときは必死に戦う。
是の故に其の兵修めずして戒め、求めずして得、約せずして親しみ、令せずして信なり。祥を禁じ疑いを去れば、死に至るまで之く所無し。吾が士に余財無きも、貨を悪むに非ざるなり。余命無きも、寿を悪むに非ざるなり。令発するの日、士卒の坐する者は涕襟を霑し、堰臥する者は涕頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、諸・劌の勇なり。 |
だから、兵士たちは統制しなくても自ら戒め、指示がなくても奮戦し、拘束されなくても助け合い、法令がなくても信義を守るのである。占いを禁止して疑心が起こらないようにすれば、死ぬまで裏切ることがない。兵士たちが余分な財貨を持たないのは、財貨を嫌っているからではなく、命を投げ出すのも、長生きを嫌っているわけではない。戦の命令が出された日は、兵士で座っている者は涙で襟を濡らし、臥せっている者は涙で顔を濡らすが、このような兵士を行き場所のない状況に投入すれば、勇敢な兵士となる。
故に善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然とは、常山の蛇なり。其の首を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾倶に至る。敢えて問う、兵は率然の如くならしむ可きか、と。曰く、可なり。 |
だから、戦の巧みな者は例えば率然(そつぜん)のようである。率然とは、常山にいる蛇のことである。この蛇は頭を撃つと尾が助けに来て、尻尾を撃つと頭が助けに来て、腹を撃てば頭と尾が襲ってくる。「軍も率然のように動かせるのか」と聞かれれば、「動かせる」と答える。
夫れ呉人と越人と相悪むも、其の舟を同じくして済り風に遇うに当りては、其の相救うや左右の手の如し。是の故に馬を方べ輪を埋むるも、未だ恃むに足らざるなり。勇を斉えて一の若くするは、政の道なり。剛柔皆得るは、地の理なり。故に善く兵を用うる者は、手を携えて一人を使うが若きは、已むを得ざらしむればなり。 |
呉人と越人は互いに憎み合っているが、同じ舟に乗って川を渡る時に大風に遭ったならば、彼らは左右の手のように助け合う。馬を繋ぎ、車輪を土に埋めて固めても、十分な頼りにならない。軍隊を勇敢に整え、一つに結束させるのは、軍制である。強い者も弱い者も等しく十分な働きをするには、地形の道理が必要である。戦が巧みな者は、手を取って一人の人間を動かすように軍を動かすが、それは兵士を戦うしかない状況に置いているからである。
将軍の事は、静かにして以て幽く、正しくして以て治まる。能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革め、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にし、人をして慮ることを得ざらしむ。 |
将軍の仕事は、静かなのに思慮深く、正しく自分を統制することである。上手く兵士の耳目を騙して、軍の計画を知られないようにして、その内容を変更しても、兵士たちには気づかれないようにし、駐屯地を変え、道を迂回して、行く先を予測されないようにする。
帥いて之と期すれば、高きに登りて其の梯を去るが如く、帥いて之と深く諸侯の地に入りて、其の機を発すれば、舟を焚き釜を破り、群羊を駆るが若く、駆られて往き、駆られて来るも、之く所を知る莫し。三軍の衆を聚め、之を険に投ず。此れ将軍の事と謂うなり。九地の変、屈伸の利、人情の理、察せざる可からず。 |
軍を率いて命令を出す時は、高みに上げて梯子を外すようなやり方をして、敵の領地に深く入って戦う時は、羊の群れを追いやるように従わせる。兵士たちは追いやられて行き来するが、どこに向かっているのかは知らない。全軍を結集させて、危険な戦場に投入するのは、将軍の役割である。九通りの地形に応じた戦術、軍の集合離散の利害、人情の道理については、将軍は十分に考えなければならない。
凡そ客たるの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師する者は、絶地なり。四達する者は、衢地なり。入ること深き者は、重地なり。入ること浅き者は、軽地なり。背は固にして前は隘なる者は、囲地なり。往く所無き者は、死地なり。是の故に散地には吾将に其の志を一にせんとす。 |
敵の領地に進軍した場合、侵入が深ければ味方は団結するが、侵入が浅ければ味方は散漫になる。祖国を後にして国境を越えて戦う場所は「絶地」、道が四方に通じている場所は「衢地」、侵入の深い場所は「重地」、侵入の浅い場所は「軽地」、背後の地形が険しく前方が狭くなっている場所が「囲地」、逃げ場のない場所が「死地」である。だから将軍は「散地」で兵士の心を一つに結束させようとする。
軽地には吾将に之をして属かしめんとす。争地には吾将に其の後ろに趨かんとす。交地には吾将に其の守りを謹まんとす。衢地には吾将に其の結びを固くせんとす。重地には吾将に其の食を継がんとす。圮地には吾将に其の塗に進まんとす。囲地には吾将に其の闕を塞がんとす。死地には吾将に之に示すに活きざるを以てせんとす。故に兵の情、囲まるれば則ち禦ぎ、已むを得ざれば則ち闘い、過ぐれば則ち従う。 |
「軽地」では軍隊を離散させず、「争地」では後ろの遅い部隊を急がせ、「交地」では守備を固め、「衢地」では諸侯に同盟を結ばせ、「重地」は食糧の補給路を確保し、「己地」では早く通り過ぎ、「囲地」では敵の逃げ道を塞ぎ、「死地」では兵士たちに決死の覚悟をさせる。だから、兵士の心は、包囲されれば抵抗し、戦う以外なければ奮闘し、危険な状況であれば命令に従う。
是の故に諸侯の謀を知らざる者は、預め交わること能わず。山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行ること能わず。郷導を用いざる者は、地の利を得ること能わず。四五の者、一を知らざれば、覇王の兵に非ざるなり。夫れ覇王の兵、大国を伐てば、則ち其の衆聚まるを得ず、威、敵に加うれば、則ち其の交わり、合することを得ず。是の故に天下の交わりを争わず、天下の権を養わず、己の私を信べ、威、敵に加わる。 |
だから、諸侯たちの思惑が分からないと、前もって同盟を結ぶことができず、山林・険しい地形・沼沢地などの地形を知らないと、軍を進めることができず、その土地の案内人を使わないと、地の利を得ることができない。この三つのうち一つでも知らないと、覇王の軍隊ではい。覇王の軍が大国を攻める時は、その国の兵は集合することができず、敵国に威圧を加えれば、その国は他の国と同盟することができない。だから、他の国々との同盟を重視せず、天下の権力を集めなくても、ただ自国の力を信じて振る舞っていれば、その威勢が敵国に影響を与えてしまうのである。
故に其の城抜く可く、其の国は隳る可し。無法の賞を施し、無政の令を懸け、三軍の衆を犯うること、一人を使うが若し。之を犯うるに事を以てし、告ぐるに言を以てすること勿かれ。之を犯うるに利を以てし、告ぐるに害を以てすること勿かれ。之を亡地に投じて然る後に存し、之を死地に陥れて然る後に生く。夫れ衆は害に陥りて、然る後に能く勝敗を為す。 |
だから、敵の城も落とせるし、敵の国も滅ぼすことができる。規定を無視した恩賞を与えたり、前例のない禁令を掲げると、全軍を一人の人間のように動かすことができる。軍を動かす時には、ただ任務を与えるだけで、その理由を話してはならず、軍を用いる時には、ただ有利な点だけを話して、不利な点は話してはならない。軍は滅亡しかねないような状況に投げ込んでこそ滅亡を免れ、死すべき状況に追い込んでこそ生き延びらる。そもそも兵士は、危険な状況に陥ってこそ、勝敗を決することができる。
故に兵を為すの事は、敵の意に順詳するに在り。敵に并せて向かうさきを一にし、千里にして将を殺す。此を巧みに能く事を成す者と謂うなり。是の故に政挙がるの日、関を夷め符を折りて、其の使を通ずること無く、廊廟の上に厲しくして、以て其の事を誅む。敵人開闔すれば、必ず亟かに之に入り、其の愛する所を先にして、微かに之と期し、践墨して敵に随い、以て戦事を決す。是の故に始めは処女の如く、敵人戸を開き、後には脱兎の如くにして、敵拒ぐに及ばず。 |
だから戦で重要なのは、敵の意図を正しく把握することである。一つに団結して敵に当たり、遠く敵地に入り敵将を討ち取る、これが戦の巧みな者である。そのため、開戦の日には関所を閉鎖し、通過許可証の発行を止め、使者の往来を禁じ、朝廷・宗廟に入って作戦会議を開く。敵が動揺すれば迅速に侵入し、敵の重要な所を攻撃目標と決めて、黙々と敵情に応じて行動しながら勝敗を決する。初めは無知な少女のように振る舞えば、敵は油断して戸を開き、その後に脱兎のように素早く攻撃すれば、敵は防ぐことができない。
第十二 火攻篇
孫子曰く、凡そ火攻に五有り。一に曰く、人を火く、二に曰く、積を火く、三に曰く、輜を火く、四に曰く、庫を火く、五に曰く、隊を火く。火を行なうに必ず因有り、煙火は必ず素より具う。火を発するに時有り、火を起すに日有り。時とは天の燥けるなり。日とは月の箕・壁・翼・軫に在るなり。凡そ此の四宿は、風の起るの日なり。 |
孫子は言った。火攻めには五つの方法がある。第一は兵士を焼くこと、第二は食糧・物資を焼くこと、第三は物資の輸送隊を焼くこと、第四は財貨のある蔵を焼くこと、第五は軍の通る道を焼くことである。火攻めには必ず条件があり、火を起こすには準備が必要である。火を放つには適切な時があり、火攻めには適切な日がある。時とは、空気が乾燥した時であり、日とは、月が特定の欠け方(箕・壁・翼・軫)をする日である。月の形がこの四つの時は、風が起こる日なのだ。
凡そ火攻は、必ず五火の変に因りて之に応ず。火、内に発すれば、則ち早く之に外に応ず。火発して兵静かなる者は、待ちて攻むること勿く、其の火力を極め、従う可くして之に従い、従う可からずして止む。火、外より発す可くんば、内に待つこと無く、時を以て之を発せよ。火、上風に発すれば、下風を攻むること無かれ。昼の風は久しく、夜の風は止む。凡そ軍は必ず五火の変有るを知り、数を以て之を守る。 |
火攻めは、五通りの変化に応じて攻めなければいけない。火が敵陣から上がった時には、素早く外から攻撃を仕掛ける。火が上がっても敵陣が静かな時には、待機して攻めてはならず、その火力の強さを見極めてから、攻撃すべき状況であれば攻撃し、そうでなければ攻撃しない。外から火をかけられる状況の時は、敵陣の中から火が上がるのを待たずに、その時機を逃さずに火をかける。風上から火が上がった時には、風下から攻めてはならない。昼間の風は長く続くが、夜風はすぐに止む。軍はこの五通りの火の変化を知った上で、策を用いて利用しなければならない。
夫れ戦勝攻取して、其の功を修めざる者は凶なり。命づけて費留と曰う。故に曰く、明主は之を慮り、良将は之を修む。 |
だから、火を攻撃に利用する者は聡明であり、水を攻撃に利用する者は強力である。水攻めは敵を遮断できるが、城を奪い取ることはできない。戦に勝ち奪い取りながら、その戦果を収めないのは良くない。これは無駄に軍費を費やしている。だから、聡明な君主はよく思慮し、優秀な将軍は無駄を避けるのである。
利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。主は怒りを以て師を興す可からず、将は慍りを以て戦いを致す可からず。利に合して動き、利に合せずして止む。怒りは以て復た喜ぶ可く、慍りは以て復た悦ぶ可し。亡国は以て復た存す可からず、死者は以て復た生く可からず。故に明君は之を慎み、良将は之を警む。此れ国を安んじ軍を全うするの道なり。 |
利益がなければ軍を動かさず、得るものがなければ軍を用いず、危機でなければ戦わない。君主は怒りによって戦を起こしてはならず、将軍は憤りによって戦ってはならない。利益があれば動き、利益がなければ止める。これで君主の怒りは喜びに変わり、将軍の憤りは悦びに変わる。滅びた国は興すことはできず、死者は生き返ることはない。だから、賢明な君主は戦を慎み、優れた将軍は戦を戒める。これが国家の安泰にし、軍隊を保全する道である。
第十三 用間篇
孫子曰く、凡そ師を興すこと十万、出征すること千里なれば、百姓の費え、公家の奉、日に千金を費やす。内外騒動し、道路に怠り、事を操るを得ざる者七十万家、相守ること数年にして、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛みて、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり、主の佐に非ざるなり、勝の主に非ざるなり。故に明君・賢将の動きて人に勝ち、成功の衆に出づる所以の者は、先知なり。先知なる者は、鬼神に取る可からず、事に象る可からず、度に験す可からず、必ず人に取りて、敵の情を知る者なり。 |
孫子は言った。十万人の軍を動員して、千里の遠くに出征すれば、民衆の負担や公家の出費は、一日に千金も費やし、国の内外が騒動になり、仕事ができなくなる者が七十万家も出てしまう。数年に渡り争い続けた二つの国は、一日の決戦で勝敗を争う。だから、爵位や褒賞を惜しんで、敵情を知らないのは、仁に欠けている。それでは人の上に立つ将軍にはなれず、君主の補佐役にもなれず、勝利を得る君主にもなれない。聡明な君主や賢明な将軍が軍を動かして勝ち、成功を収められるのは、先んじて敵の情勢を知るからである。先んじで情勢を知るというのは、鬼神の働きではなく、他からの推測でもなく、経験からの推察でもない。間諜によって敵の情勢を知ることができるのである。
故に間を用うるに五有り。因間有り、内間有り、反間有り、死間有り、生間有り。五間倶に起りて、其の道を知ること莫き、是を神紀と謂う。人君の宝なり。因間とは、其の郷人に因りて之を用う。内間とは、其の官人に因りて之を用う。反間とは、其の敵間に因りて之を用う。死間とは、誑事を外に為し、吾が間をして之を知らしめて、敵の間に伝うるなり。生間とは、反り報ずるなり。 |
間諜を用いる方法には五つある。郷間、内間、反間、死間、生間である。この五つの間諜を使いながら、敵に知られないことが優れた用い方であり、君主の宝となる。「郷間」は敵国の村人を利用することで、「内間」は敵国の役人を利用することで、「反間」は敵の間諜を逆に利用することで、「死間」は偽の情報を流して、味方の間諜から敵方に告げさせることで、「生間」は生きて戻り情報を報告することである。
故に三軍の事、間より親しきは莫く、賞は間より厚きは莫く、事は間より密なるは莫し。聖智に非ざれば間を用うること能わず。仁義に非ざれば間を使うこと能わず。微妙に非ざれば間の実を得ること能わず。微なるかな、微なるかな、間を用いざる所無し。間事未だ発せずして先ず聞こゆれば、間と告ぐる所の者とは皆死す。 |
だから、全軍の中で間諜より親しい者はなく、間諜より褒賞が多い者はなく、間諜より機密性の高い者はいない。智者でなければ間諜を使うことはできず、仁義がなければ間諜を使うことができず、細かな心配りや思慮がなければ、間諜から役立つ情報を引き出すことができない。微妙なこと、どんな所にも間諜は用いられる。間諜からまだ知られていない情報が入った後で、同じ情報が告げられた時は、その間諜と新たに告げてきた者の双方を死罪にする。
凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所は、必ず先ず其の守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必ず索めて之を知らしむ。 |
撃とうとしている軍、攻めようとしている城、殺そうとしている人物については、必ず守備の将軍・側近・侍従・門衛・宿衛の役人の姓名を調べて、さらに味方の間諜に詳しく調査をさせる。
必ず敵人の間の来りて我を間する者を索め、因りて之を利し、導きて之を舎す。故に反間は得て用う可きなり。是に因りて之を知る。故に郷間・内間得て使う可きなり。是に因りて之を知る。故に死間誑事を為して、敵に告げしむ可し。是に因りて之を知る。故に生間期の如くならしむ可し。五間の事、主必ず之を知る。之を知るは必ず反間に在り。故に反間は厚くせざる可からざるなり。 |
敵国の間諜が自国に入ってきていれば、その間諜に利益を与え、自分の側に付くように誘導する。こうすれば、反間を使うことができ、敵情を知ることができる。これにより郷間と内間を使うことができ、敵情を知ることができる。これにより死間を使って偽りの情報を敵に流し、敵情を知ることができる。だから、生間を計画通りに使いこなすことができる。これら五つの間諜の情報を君主は知るところであるが、その元は反間の存在である。だから、反間は厚遇しなければならない。
昔、殷の興るや、伊摯、夏に在り。周の興るや、呂牙、殷に在り。故に惟だ明君・賢将のみ能く上智を以て間と為す者にして、必ず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。 |
昔、殷王朝が興った時には、伊摯が間諜として夏王朝(前王朝)に潜入し、周王朝が興った時には、呂牙が間諜として殷王朝(前王朝)に潜入した。故に聡明な君主や賢明な将軍だけが、優れた智者を間諜として仕立て、偉大な功績を成し遂げることができる。この間諜は戦の要であり、全軍が頼りにしている情報源である。