下篇(徳経)
【論德第三十八】上徳は徳とせず、是を以て徳有り。下徳は徳を失わず、是を以て徳無し。上徳は無為にして、以て為にする無く、下徳は之を為して、以て為にする有り。上仁は之を為して以て為にする無し。上義は之を為して以て為にする有り。上礼は之を為して之に応ずること莫ければ、則ち臂を攘いて之を扔く。故に道を失いて後に徳あり、徳を失いて後に仁あり、仁を失いて後に義あり、義を失いて後に礼あり。夫れ礼は、忠信の薄きにして、乱の首なり。前識は、道の華にして、愚の始めなり。是を以て大丈夫は、其の厚きに処りて其の薄きに居らず、其の実に処りて其の華に居らず。故に彼を去りて此を取る。 |
【三十八】高い徳を持つ人は、徳を意識しないので徳を持つことができる。低い徳を持つ人は、徳を失わないようにするので徳を持つことができない。高い徳を持つ人は徳を行わないので、打算のために行うこともない。低い徳を持つ人は徳を行っても、それは打算のために行う。高い仁を持つ人は仁を行うが、打算のために行うのではない。高い義を持つ人は義を行うが、それは打算のために行う。高い礼を持つ人は、礼を行いそれに相手が応えなければ相手を従わせる。そのため、道が失われた後に徳があり、徳が失われた後に仁があり、仁が失われた後に義があり、義が失われた後に礼がある。礼は真心が薄く、混乱の始まりである。未来の予測は見せかけの道であり、愚かさの始まりでもある。だから立派な君子は厚みのあるところに居り、薄っぺらなところには居らず、実のあるところに居り、見せかけのところには居ない。そのため見せかけを捨て、実のある道を取るのである。
【法本第三十九】昔の一を得たる者、天は一を得て以て清く、地は一を得て以て寧く、神は一を得て以て霊に、谷は一を得て以て盈ち、万物は一を得て以て生じ、侯王は一を得て以て天下の貞と為る。其の之を致すは、一なり。天以て清きこと無ければ、将に恐らくは裂けん。地以て寧きこと無ければ将に恐らくは発かん。神以て霊なること無ければ将に恐らくは歇まん。谷以て盈つること無ければ将に恐らくは竭きん。万物以て生ずること無ければ将に恐らくは滅びん。侯王以て貴高なること無ければ将に恐らくは蹶れん。故に貴は賤を以て本と為し、高は必ず下を以て基と為す。是を以て侯王は自ら孤・寡・不穀と謂う。此れ賤を以て本と為すに非ずや。非なるか。故に数〻誉むるを致せば誉れ無し。琭琭として玉の如く、落落として石の如きを欲せず。 |
【三十九】昔の道を得た者、天は道を得て清らかで、地は道を得て安らかで、神は道を得て霊妙であり、谷は道を得て水で満ちており、万物は道を得て生まれ、王侯は道を得て天下の長となる。そのようにしたのは道である。天はそれを清くする道がなければ裂け、地はそれを安らかにする道がなければ崩れ、神はそれを霊妙にする道がなければ失われ、谷はその水を満す道がなければ枯れ、万物はそれを生む道がなければ滅び、王侯はそれを天下の長とさせる道がなければ倒れる。高貴なものは卑賤なものを根本とし、高いものは低いものを基本とする。そのため王侯は、自分を孤児とか孤独とか不幸などと呼んでいる。これは卑賤な者を根本にするからではないのか。だから名誉を求め過ぎると名誉はなくなる。美しいだけの玉であることも、固いだけの石であることも欲しない。
【去用第四十】反は道の動なり。弱は道の用なり。天下万物は有より生じ、有は無より生ず。 |
【四十】根本に還ることが道の働きであり、弱さは道の作用である。万物は有から生まれ、有は無から生まれる。
【同異第四十一】上士は道を聞けば、勤めて之を行う。中士は道を聞けば、存するが若く亡きが若し。下士は道を聞けば、大いに之を笑う。笑わざれば、以て道と為すに足らず。故に建言に之有り。明道は昧きが若く、進道は退くが若く、夷道は纇なるが若く、上徳は谷の若く、大白は辱れたるが若く、広徳は足らざるが若く、建徳は偸きが若く、質真は渝るが若し。大方は隅無く、大器は晩成し、大音は希声にして、大象は無形なり。道は隠れて名無し。夫れ唯だ道は善く貸して且つ成す。 |
【四十一】上位の者に道について聞けば、力を尽くして実践する。中位の者に道について聞けば、実践したりしなかったりする。下位の者に道について聞けば、大声でこれを笑う。下位の者に笑われないようでは道として十分ではない。だから格言にこのようにある。明らかな道は暗く見え、進むべき道は退くべき道のように見え、平らな道は起伏のある道に見え、優れた徳は空虚に見え、潔白は汚れているように見え、広大な徳は不足しているように見え、健全な徳は不健全なものに見え、純粋で質の良いものは変化しやすく、大きな四角は四隅が見えず、大きな器は完成するのが遅く、大きな音声は聞き取れず、大きな形には形がない。道は目には見えず名前もないが、万物の手助けをして、それを成し遂げさせる。
- 大器晩成(たいきばんせい)
本当の大人物は、若いころには才能を現さず、人より遅れて頭角を現すという例えで、優れた人物が出来上がるには時間が掛かるという意味を持ちます。
【道化第四十二】道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負いて陽を抱き、沖気以て和を為す。人の悪む所は、唯だ孤・寡・不轂なるも、而るに王公は以て称と為す。故に物或いは之を損して益し、或いは之を益して損す。人の教うる所は、我も亦た之を教う。強梁なる者は其の死を得ず、と。吾将に以て教えの父と為さんとす。 |
【四十二】道は一を生み、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生む。万物は陰の気と陽の気をその内に持ち、それを混ぜて調和させている。人が憎むのは孤児と孤独と不幸であるが、王侯はそれを自称している。だから物は減らせば増えることもあり、増やせば減ることもある。人が教えようとすることを、私も教えよう。力で押す者はまともな死に方をしない。私はこのことを教えの根本としよう。
【徧用第四十三】天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す。無有は無間に入る。吾是を以て無為の益有るを知る。不言の教え、無為の益は、天下之に及ぶもの希なり。 |
【四十三】世の中で最も柔らかいものが、世の中の最も堅いものを突き動かす。形の無いものが隙間の無いところへ入っていく。私はこのことから、何もしないことが有益であると知った。言葉のない教え、無為の利益に、世の中で及ぶものはほとんどない。
【立戒第四十四】名と身とは孰れか親しき。身と貨とは孰れか多れる。得ると亡うとは孰れか病いある。是の故に甚だ愛すれば必ず大いに費え、多く蔵すれば必ず厚く亡う。足るを知れば辱しめられず、止まるを知れば殆うからず、以て長久なる可し。 |
【四十四】名誉と身体はどちらが身近であろうか。身体と財貨はどちらが大切であろうか。得ることと失うことはどちらが苦しみであろうか。過度に惜しむことは大きな浪費につながる。過度に貯め込むことは、大きく失うことになる。満足することを知れば、屈辱を受けることはなく、止まることを知れば、危険に陥ることはなく、永らえることができる。
【洪德第四十五】大成は欠くるが若くなれども、其の用は弊れず。大盈は沖しきが若くなれども、其の用は窮まらず。大直は詘するが若く、大功は拙なるが若く、大弁は訥なるが若し。躁は寒に勝ち、静は熱に勝つ。清静は天下の正と為る。 |
【四十五】最も完成したものは、欠けているように見えるが、その働きは止まることはない。最も満たされたものは、空虚のように見えるが、その働きは限りがない。真っ直ぐなものは曲がって見え、優れた技は拙劣に見え、雄弁なものは口下手に見える。動き回れば寒さに勝ち、静かにすれば暑さに勝ち、清く静かなものが世の中の模範となる。
- 大功は拙なるがごとし[大巧若拙]
真実なるものは全て作為を捨てて自然のままであるから、返って真実とは捉えにくいということの例えで、大事を志す人間が他人に警戒されないように、愚鈍を装う場合にも使われます。
【儉欲第四十六】天下に道有れば、走馬を却けて以て糞い、天下に道無ければ、戎馬、郊に生ず。罪は可欲より大なるは莫く、禍は足るを知らざるより大なるは莫く、咎は得んと欲するより大なるは莫し。故に足るを知るの足るは、常に足るなり。 |
【四十六】世の中に道があるならば、馬は農耕に使われ、世の中に道がなければ、軍馬が多くなる。欲望が多いことよりも大きな罪悪はなく、満足を知らないことよりも大きな災禍はなく、他人の物を欲しがることよりも大きな不幸はない。満足を知ることができれば、常に満足できるのである。
【鑒遠第四十七】戸を出でずして天下を知り、牖を闚わずして天道を見る。其の出づること弥〻遠ければ、其の知ること弥〻少なし。是を以て聖人は行かずして知り、見ずして名らかに、為さずして成る。 |
【四十七】戸口から出なくても世の中のことを知り、窓から外を見なくても天の道を見ることができる。遠くに行くほど、道のことは分からなくなる。そのため、聖人は外に行かずに知り、何も見ないでも分かり、何も行わなくても成し遂げる。
【忘知第四十八】学を為せば日に益し、道を為せば日に損す。之を損して又損し、以て無為に至る。無為にして為さざる無し。天下を取るは常に無事を以てす。其の有事に及びては、以て天下を取るに足らず。 |
【四十八】学問をすれば日々やることが増えてゆくが、道を行えば日々やることが減っていく。やることを減らし、更に減らして、何もやることがない状態になる。何も行わないのに、成さないことはない。世の中を治めるには、常に何も行わないようにする。何かを行うようでは、世の中を治めることはできない。
【任德第四十九】聖人は常の心無く、百姓の心を以て心と為す。善なる者は吾之を善とし、不善なる者も吾亦た之を善とす。徳は善なり。信なる者は吾之を信とし、不信なる者も吾亦た之を信とす。徳は信なり。聖人の天下に在るや、歙歙として天下の為に其の心を渾す。百姓は皆其の耳目を注ぐ。聖人は皆之を孩にす。 |
【四十九】聖人は常に無心で、人民の心を自分の心としている。善良な者については、聖人も善とするが、善良でない者についても、聖人は善とする。つまり徳とは善である。誠実な者については、聖人も誠実であるが、誠実でない者についても、聖人は誠実であろうとする。つまり徳とは誠実さである。聖人は世の中にあるとき、拘りがなく、好悪の心を持たない。人民はみんな聖人の様子を伺っているが、聖人は人民を赤子のようにしてしまう。
【貴生第五十】生に出でて死に入る。生の徒は十に三有り。死の徒も十に三有り。人の生、動きて死地に之くもの、亦た十に三有り。夫れ何の故ぞ。其の生を生とするの厚きを以てなり。蓋し聞く、善く生を摂する者は、陸行して兕虎に遇わず、軍に入りて甲兵を被らず。兕も其の角を投ずる所無く、虎も其の爪を措く所無く、兵も其の刃を容るる所無し。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。 |
【五十】人は生まれ出て、死んでいく。生を全うする者は、十人のうち三人で、早く死ぬ者は、十人のうち三人である。また、みだりに行動して死地に向かう者は、十人のうち三人である。それは、生きることに執着しているからである。聞くところによると、上手く命を守る者は、陸を通っても犀(さい)や虎を避けず、軍に入っても鎧や武器を身に付けない。犀もその角を突くことができず、虎もその爪を立てることができず、敵兵もその刃を加えることができない。そのような人間には死地がないからである。
【養德第五十一】道、之を生じ、徳、之を蓄い、物、之を形し、勢、之を成す。是を以て万物、道を尊び徳を貴ばざるは莫し。道の尊き、徳の貴き、夫れ之に命ずること莫くして常に自ずから然り。故に道、之を生じ、徳、之を蓄い、之を長じ、之を育て、之を成し、之を孰し、之を養い、之を覆う。生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず。是を玄徳と謂う。 |
【五十一】道が万物を生み出し、徳がそれを養い、物として形作り、働きを成す。そのため万物は道を尊び、徳を貴ぶ。道や徳が尊貴であるのは、誰かが命じたのではなく、自然にそうなっている。だから道は万物を生み出し、徳がこれを養い、成長させて育て、形を作り熟して、養い守る。生み出しても所有せず、形作っても求めず、成長させても支配せず。これを深遠な徳という。
【歸元第五十二】天下に始め有り、以て天下の母と為す。既に其の母を知り、復其の子を知り、既に其の子を知りて、復其の母を守れば、身を没するまで殆うからず。其の兌を塞ぎ、其の門を閉ずれば、終身勤れず。其の兌を開き、其の事を済せば、終身救われず。小を見るを明と曰い、柔を守るを強と曰う。其の光を用いて、其の明に復帰せば、身の殃を遺すこと無し。是を習常と謂う。 |
【五十二】世の中には始まりがあり、それを母と言うことができる。母を知れば、その子(世界)を知ることができ、その子を知り、その母を守れば、一生危ういことはない。目や耳を塞いで、欲望を閉じるならば、死ぬまで疲れることはない。目と耳を開いて、欲望を為せば、一生救われることはない。小さいものを見ることを明といい、柔軟さを保つことを強さという。光を用いて明へと戻れば、我が身に災いが降りかかることはない。これは永遠に続く道に従うことである。
【益證第五十三】我をして介然として知る有らしめば、大道を行くに、唯だ施を是れ畏る。大道は甚だ夷らかなれども、民は径を好む。朝は甚だ除められ、田は甚だ蕪れ、倉は甚だ虚しきに、文綵を服し、利剣を帯び、飲食に厭き、財貨は余り有り。是を盗夸と謂う。非道なるかな。 |
【五十三】私に確かな知恵があれば、大いなる道を行くとき、脇に逸れることを恐れる。大いなる道は平らなのに、人々は小さな道を好む。政治は腐敗し、田畑は荒れ、倉庫は空になり、派手な服を着て、立派な剣を持ち、飲み食いに飽き、財貨は余るほどある。これを盗人といい、道ではない。
【修觀第五十四】善く建つる者は抜けず、善く抱く者は脱せず。子孫以て祭祀して輟まず。之を身に修むれば、其の徳は乃ち真なり。之を家に修むれば、其の徳は乃ち余る。之を郷に修むれば、其の徳は乃ち長し。之を国に修むれば、其の徳は乃ち豊かなり。之を天下に修むれば、其の徳は乃ち普し。故に身を以て身を観、家を以て家を観、郷を以て郷を観、国を以て国を観、天下を以て天下を観る。吾何を以て天下の然るを知るや。此を以てなり。 |
【五十四】よく建てられたものは抜けず、よく抱かれたものは落ちず、子孫は祭祀を絶やさない。道をその身に修めれば、その徳は真実となり、道をその家に修めると、その徳はあり余り、道をその郷里に修めれば、その徳は長続きし、道をその国に修めると、その徳は豊かになり、道を世の中に修めると、その徳は全てに及ぶ。
【玄符第五十五】徳を含むことの厚きは、赤子に比す。毒虫も螫さず、猛獣も拠らず、攫鳥も搏たず。骨弱く筋柔らかにして握ること固し。未だ牝牡の合を知らずして䘒作つは、精の至りなり。終日号びて嗄れざるは、和の至りなり。和を知るを常と曰い、常を知るを明と曰う。生を益すを祥と曰い、心、気を使うを強と曰う。物壮なれば則ち老ゆ、之を不道と謂う。不道は早く已む。 |
【五十五】豊かな徳を持つ人は赤子に例えられる。虫に刺されず、獣も近寄らず、猛禽にも打たれない。骨は弱く筋肉も柔らかいのに、固く握ることができる。男女の交わりを知らないのに立つのは精気のせいである。一日中泣いているのに枯れないのは、和のせいである。和を知ることを恒常といい、恒常を知ることを明知という。生きることに執着することは禍いで、気を使うことを頑張りという。物事は盛んになれば衰えるが、これは道ではない。道でなければ早く滅びる。
【玄德第五十六】知る者は言わず、言う者は知らず。其の兌を塞ぎ、其の門を閉ざし、其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同ず。是を玄同と謂う。故に得て親しむ可からず、亦た得て疏んず可からず。得て利す可からず、亦た得て害す可からず。得て貴ぶ可からず、亦た得て賤しむ可からず。故に天下の貴と為る。 |
【五十六】知者はものを言わず、もの言う者は知者ではない。目と耳を塞ぎ、欲望を閉じ、知恵の鋭さを弱め、知恵の煩わしさを解き、知恵の光を和らげ、世の中と一体となる。これを深い統一という。だから世の中は彼を親しむことができず、疎んずることもできず、利することもできず、害することもできず、貴ぶこともできず、賤しむこともできない。だから世の中の貴いものとなる。
- 和光同塵(わこうどうじん)
凡庸として掴みどころのない有様の形容で、どう見たらよいか判断の手掛かりを与えない人間が、最も偉大であると説きます。
【淳風第五十七】正を以て国を治め、奇を以て兵を用い、無事を以て天下を取る。吾何を以て其の然るを知るや。此を以てなり。天下に忌諱多くして、民弥〻貧し。民に利器多くして、国家滋〻昏し。人に伎巧多くして、奇物滋〻起る。法令滋〻彰かにして、盗賊多く有り。故に聖人云う、我無為にして民自ずから化し、我静を好みて民自ずから正しく、我無事にして民自ずから富み、我無欲にして民自ずから樸なり、と。 |
【五十七】正道をもって国を治め、奇策を用いて戦を行い、何もしないことで世の中を治める。私は道によりそれを知っている。世の中に禁令が多くなれば、人々は貧しくなり、人々が多く武器を持つほど、国はますます混乱し、人々が多く技術を持つほど、奇怪なものが増え、規制が厳しくなるほど、盗賊が増える。そこで、聖人はこう言っている。私が何もしないことで、人々は自ら教化され、私が静かさを好むことで、人々は自ら正しくなり、私が事を起こさないことで、人々は自ら豊かになり、私が何も欲さないことで、人々は自ら素朴になると。
- 無為にして化す[我無爲而民自化]
倫理や道徳などはあらためて説かなくても、自然にしておれば、人民を感化することができる。無為だからこそ、人を感化することができると説きます。
【順化第五十八】其の政悶悶たれば、其の民は醇醇たり。其の政察察たれば、其の民は欠欠たり。禍は福の倚る所、福は禍の伏す所、孰か其の極を知らん。其れ正無し。正は復た奇と為り、善は復た訞と為る。人の迷えるや、其の日固より久し。是を以て聖人は方にして割かず、廉にして劌らず、直にして肆ならず、光あるも曜かさず。 |
【五十八】政治が大まかであれば、人々は純朴である。政治が細かいと、人々は不満を持つ。災いには幸福が寄りそっており、幸福には災い潜んでいる。誰が禍福の究極を知っているだろうか。絶対的な正しさはない。正しいものは偽でもあり、善なるものは悪でもある。人が迷うようになってから長い時間が経っている。そのため聖人は、正しくても人を傷つけず、鋭くても人を刺さず、真っ直ぐでもそれを押し通さず、光があってもそれを見せない。
【守道第五十九】人を治め天に事うるは、嗇に若くは莫し。夫れ唯だ嗇、是を早く服すと謂う。早く服する、之を重ねて徳を積むと謂う。重ねて徳を積めば、則ち克たざる無し。克たざる無ければ、則ち其の極を知る莫し。其の極を知る莫ければ、以て国を有つ可し。国の母を有てば、以て長久なる可し。是を根を深くし柢を固くし、長生久視の道と謂う。 |
【五十九】人々を治め天に仕えるには、節約以外にない。節約をすることは道に早く従うことである。早く道に従うことで、繰返し徳を積むという。徳を積めば勝てないものはない。勝てないものがなければ、限界を知ることはない。限界を知ることがなければ、国を保つことができる。国の根本を保てば、その国は久しく永らえる。これが根を深く太くする方法であり、久しく長らえる道と言われている。
【居位第六十】大国を治むるは、小鮮を烹るが若し。道を以て天下に莅めば、其の鬼も神ならず。其の鬼、神ならざるに非ず、其の神、人を傷わず。其の神、人を傷わざるに非ず、聖人も亦た人を傷わず。夫れ両つながら相傷わず。故に徳交〻帰す。 |
【六十】大国を治めるには、小魚を煮るようなものだ。道によって世の中を治めれば、鬼神も封じられる。鬼神が封じられれば、人に害を及ぼさない。鬼神が人に害を及ぼさないが、聖人も人に害を及ぼさない。鬼神も聖人も人に害を及ぼさないから、その恩恵は人々に及ぶのだ。
- 大国を治るは、小鮮を煮るがごとし[治大國、若烹小鮮]
大国を治めるには、小魚を煮るように、あれこれ手を加えない方が良い。人民が支配者の存在を意識しないような、そのような統治が最善であると説きます。
【謙德第六十一】大国は下流なり。天下の交なり。天下の牝なり。牝は常に静を以て牡に勝つ。静を以て下ることを為すなり。故に大国以て小国に下れば、則ち小国を取る。小国以て大国に下れば、則ち大国に取らる。故に或いは下りて以て取り、或いは下りて取らる。大国は人を兼ね畜わんと欲するに過ぎず、小国は入りて人に事えんと欲するに過ぎず。夫れ両者は各〻其の欲する所を得んとせば、大なる者は宜しく下ることを為すべし。 |
【六十一】大国は下流に位置し、世の中の要衝であり女性的である。女性は静かであるがゆえ男性に勝る。静かで謙虚だからである。だから、大国は小国に対し謙虚になれば、小国を従えることができる。小国は大国に対し謙虚になれば、大国に受け入れられる。だから、謙虚になることで従えることもでき、謙虚になることで受け入れられる。大国は小国を養うにすぎず、小国は大国に仕えるにすぎない。両国がそれぞれの欲することを得ようとすれば、大国が謙虚になるのがよい。
【爲道第六十二】道は万物の奥なり。善人の宝にして、不善人の保んぜらるる所なり。美言は以て市る可く、尊行は以て人に加う可し。人の不善なるも、何の棄つることか之れ有らん。故に天子を立て、三公を置き、拱璧以て駟馬に先だつ有りと雖も、坐して此の道を進むに如かず。古の此の道を貴ぶ所以は何ぞ。以て求むれば得、罪有るも以て免ると曰わずや。故に天下の貴と為る。 |
【六十二】道は万物の奥深くにあり、善人の宝であり、不善の人もそれにより守られている。美しい言葉は人に受け入れられ、尊い行動は人に影響を与える。人が善でないからといって見捨てることはできない。だから天子を立てて、三公が任命され、宝玉をもって馬車に先立って、膝をついて道に従うほうがよい。昔の人が道を貴んだ理由は何であろうか。道により、求めれば得ることができ、罪も免れることができる。だから世の中で貴いものとなる。
【恩始第六十三】無為を為し、無事を事とし、無味を味わう。小を大とし少を多とし、怨みに報ゆるに徳を以てす。難きを其の易きに図り、大を其の細に為す。天下の難事は必ず易きより作り、天下の大事は必ず細より作る。是を以て聖人は終に大を為さず。故に能く其の大を成す。夫れ軽諾は必ず信寡く、易しとすること多ければ必ず難きこと多し。是を以て聖人すら猶お之を難しとす。故に終に難きこと無し。 |
【六十三】何も為さないことを為し、何事もないことを事とし、味がないものを味合う。小さいものを大きいものとし、少ないものを多いものとし、怨みには徳で応える。難しいものを易しいうちに行い、大きいものは小さいうちに行う。世の中の難しい事は易しい事から起こり、大きな事は小さな事より起こる。そのため聖人は大きな事は行わず、ゆえに大きな事を成す。簡単に引き受ければ信用はなくなり、易しい事が多ければ難しい事も多くなる。そのため聖人は難しい事として扱うから、ゆえに難しい事にはならい。
- 怨みに報ゆるに徳をもってす[報怨以德]
過去の怨み(個人的な思い)ではなく、徳(人為を超えた道)をもって人と接すること。限りなく変化する自然と自分を一体化させるよう説いています。
【守微第六十四】其の安きは持し易く、其の未だ兆さざるは謀り易し。其の脆きは破り易く、其の微なるは散じ易し。之を未だ有らざるに為し、之を未だ乱れざるに治む。合抱の木も、毫末より生じ、九層の台も、累土より起り、千里の行も、足下より始まる。為す者は之を敗り、執る者は之を失う。是を以て聖人は、為すこと無し、故に敗るること無し。執ること無し、故に失うこと無し。民の事に従うや、常に幾んど成るに於いて之を敗る。終りを慎しむこと始めの如くすれば、則ち事を敗ること無し。是を以て聖人は欲せざるを欲し、得難きの貨を貴ばず。学ばざるを学び、衆人の過ぐる所に復す。以て万物の自然を輔けて、敢えて為さず。 |
【六十四】安定していれば取り易く、兆しがなければ扱い易く、脆ければ破り易く、微かならば散り易い。まだ生じないうちに行い、まだ乱れないうちに治める。大木も小さな芽から生じ、九層の塔も盛り土から起こり、千里の道も一歩から始まる。何かを行えば壊してしまい、取ろうとすれば失ってしまう。そのため聖人は何も為さず、故に壊すことはなく、何も取らず、故に失うことがない。人々はほとんど成し遂げようとするときに失う。最初のように最後も慎重であれば、失敗することはない。そのため聖人は欲しないことを欲し、学ばないことを学び、人々が去ったところに戻る。万物の自然のままに任せて、あえて何も行わない。
【淳德第六十五】古の善く道を為す者は、以て民を明らかにするに非ず、将に以て之を愚かにせんとす。民の治め難きは、其の智多きを以てなり。故に智を以て国を治むるは、国の賊なり。智を以て国を治めざるは、国の福なり。此の両者を知れば、亦た楷式なり。常に楷式を知る、是を玄徳と謂う。玄徳は深し、遠し、物と反す。乃ち大順に至る。 |
【六十五】道を修めた昔の人は、人民を賢くしたのではなく、人民を愚かにしようとした。人民を治めるのが難しいのは、人民が知恵を持っているからである。そのため、知恵で国を治めれば国を損ない、知恵で国を治めれなければ、国は豊かになる。この二つは国を治めるときの原則である。この原則を知ることは徳の奥義と言われる。徳の奥義は深く、程遠く、無知に返る。そして、大いなる素直さに至る。
【後己第六十六】江海の能く百谷の王たる所以の者は、其の善く之に下るを以てなり。故に能く百谷の王たり。是を以て聖人は、民に上たらんと欲すれば、必ず言を以て之に下り、民に先んぜんと欲すれば、必ず身を以て之に後る。是を以て聖人は、上に処るも民は重しとせず、前に処るも民は害とせず。是を以て天下は推すことを楽しみて厭わず。其の争わざるを以ての故に、天下能く之と争うこと莫し。 |
【六十六】大河や大海が全ての河川の王となるのは、それが低い位置にあるからである。だから、全ての河川の王となる。このため聖人は、人民の上に立とうとするなら、必ず言葉で謙り、人民の先に立とうとするなら、必ずその身を後にする。聖人は、上に立っても重くならず、前に立っても害にならない。そのため、人々は推すことを喜び嫌がらない。彼は誰とも争わないから、人々も彼と争うことがない。
【三寳第六十七】天下皆我が道を大にして不肖に似たりと謂う。夫れ唯だ大なり、故に不肖に似たり。若し肖なれば、久しいかな、其の細なることや。我に三宝有り、持して之を保つ。一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢えて天下の先と為らず。慈なる故に能く勇なり。倹なる故に能く広し。敢えて天下の先と為らず、故に能く器の長と成る。今、慈を舎てて且に勇ならんとし、倹を舎てて且に広からんとし、後を舎てて且に先んぜんとすれば、死せん。夫れ慈は以て戦えば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。天将に之を救わんとし、慈を以て之を衛る。 |
【六十七】天下の人々は、道は広大だが、愚かに見えると言う。それは、愚かだから大きく見えるのだ。愚かでなければ、小さく見えただろう。私には三つの宝があり、それを保持している。一つに慈愛、二つに倹約、三つに世の中の先頭に立たないことである。慈愛があるから勇敢であり、倹約だから布施ができる、人々の先頭に立たないから、世の中の長になれる。しかし、慈愛を棄てて勇敢になろうとし、倹約を棄てて布施をしようとし、後につくことを捨てて先頭に立とうとすれば、ただ死を迎える。慈愛をもって戦えば勝ち、慈愛をもって守れば堅く、天が救う人は、慈愛を持っている人である。
【配天第六十八】善く士たる者は武ならず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は与にせず。善く人を用うる者は之が下と為る。是を不争の徳と謂い、是を人の力を用うと謂い、是を天に配すと謂う。古の極なり。 |
【六十八】優れた武将は武力を誇らず、優れた戦士は怒りに任せず、敵に勝つ優れた者は敵とまとも戦わず、人々を上手く使う者は、彼らの下に立つ。これを争いを未然に防ぐ徳といい、人々の能力を使う徳といい、天の下を支配する徳という。昔からの真理である。
【玄用第六十九】兵を用うるに言有り、吾敢えて主と為らずして客と為り、敢えて寸を進まずして尺を退く、と。是を行くに行無く、攘うに臂無く、扔くに敵無く、執るに兵無しと謂う。禍は敵を軽んずるより大なるは莫し。敵を軽んずれば幾ど吾が宝を喪う。故に兵を抗げて相加うるに、哀しむ者勝つ。 |
【六十九】兵法には次のような言葉がある。私はあえて攻めず、守りに徹し、あえて進まず、むしろ退けと。これを陣列なき陣列を組み、武器なき武器を取り、兵なき兵を率いるという。敵を軽視するほど大きな災いはなく、敵を軽視すれば自分の持つ宝をほとんど失う。だから兵を掲げて敵と対峙するときは、悲哀のある者が勝つことになる。
【知難第七十】吾が言は甚だ知り易く、甚だ行い易きも天下能く知る莫く、能く行う莫し。言に宗有り、事に君有り。夫れ唯だ知る無し、是を以て我を知らず。我を知る者は希なれば、則ち我は貴し。是を以て聖人は、褐を被て玉を懐く。 |
私の言葉はとても分かり易く、行い易いが、世の中に分かる者はおらず、行える者もいない。言葉には意味があり、行為にも意味があるが、それを分かる者はおらず、私のことを分かる者はいない。私を分かる者は少ないため、私は貴い。そのため聖人は、粗末な着物を着ても宝玉を持っているのだ。
【知病第七十一】知りて知らずとするは上なり。知らずして知るとするは病なり。夫れ唯だ病を病とす、是を以て病ならず。聖人は病ならず、其の病を病とするを以てなり。是を以て病ならず。 |
知っていても知らないとするのは最上で、知らないのに知っているとするのは難点である。難点を難点とすれば、これにより難点ではなくなる。聖人に難点がないのは、難点を難点とするからであり、これにより難点ではなくなる。
【愛己第七十二】民、威を畏れざれば、則ち大威至らん。其の居る所を狎むること無かれ、其の生ずる所を厭すること無かれ。夫れ唯だ厭せず、是を以て厭わず。是を以て聖人は、自らを知りて自らを見わさず、自らを愛して自らを貴ばず。故に彼を去りて此を取る。 |
人民が権威を畏れなくなると、それが脅威になる。人民の住む場所を狭めてはならず、人民の生業を圧迫してはならない。圧迫しなければ、人民は嫌がることはない。そのため聖人は、自分を知りながら自分を出さず、自分を大切にしながら自分を貴いとしない。だから自分を捨て去り、自分を保っている。
【任爲第七十三】敢えてするに勇なれば則ち殺し、敢えてせざるに勇なれば則ち活す。此の両者は或いは利、或いは害。天の悪む所、孰か其の故を知らん。是を以て聖人すら猶お之を難しとす。天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応じ、召さずして自ずから来り、繟然として善く謀る。天網恢恢、疏にして失わず。 |
【七十三】勇敢な者は殺されて、慎重な者は生き残る。この両者は利することもあれば、害になることもある。天が何を嫌うか、誰が知っているだろうか。そのため聖人でさえも、難しいとしている。天の道は、争わずしてよく勝ち、言わないのによく応え、招かれないのに自ら来て、広大なのによく施されている。天の法は広大で粗いが、取り逃がすことはない。
【制惑第七十四】民、死を畏れざれば、奈何ぞ死を以て之を懼れしめん。若し民をして常に死を畏れしめて、而して奇を為す者は、吾執えて之を殺すを得るも、孰か敢えてせん。常に殺を司る者有りて殺す。夫れ殺を司る者に代りて殺す、是を大匠に代りて斲ると謂う。夫れ大匠に代りて斲る者は、其の手を傷つけざる有ること希なり。 |
【七十四】人民が死を恐れなければ、どうして死罪で脅せるだろうか。人民が死を恐れるとして、怪しい者を捕えて殺すことができれば、誰が罪を犯すだろうか。いつでも死刑の執行者が殺すだろう。死刑の執行者の代わり殺すことは、職人に代わって原木を削るようなものだ。職人の代わりに原木を削る者で、自分の手を傷つけない者はほとんどいない。
【貪損第七十五】民の飢うるは、其の上の税を食むことの多きを以てなり。是を以て飢う。民の治め難きは、其の上の為すこと有るを以てなり。是を以て治め難し。民の死を軽んずるは、其の上の生を求むることの厚きを以てなり。是を以て死を軽んず。夫れ唯だ生を以て為すこと無き者は、是れ生を貴ぶより賢る。 |
【七十五】人民が飢えるのは、上に立つ者が税を多く取るからだ。そのため飢える。人民を治められないのは、上に立つ者が余計なことを行うからだ。そのため治まらない。人民が死を軽んじるのは、上に立つ者が生きることに囚われるからだ。そのため死を軽んじる。生きることに囚われない者こそ、生きることを貴ぶ者より優れている。
【戒強第七十六】人の生くるや柔弱、其の死するや堅強。万物草木の生くるや柔脆、其の死するや枯槁。故に堅強は死の徒なり、柔弱は生の徒なり。是を以て兵強ければ則ち勝たず、木強ければ則ち共さる。強大は下に処り、柔弱は上に処る。 |
【七十六】人は生きているときは柔らかく嫋(しな)やかだが、死むと堅くなる。草木など万物は生きているときは柔らかく脆いが、死ぬと枯れて堅くなる。だから堅いのは死であり、柔らかいのは生である。このため兵が堅ければ勝つことができず、木も堅ければ切られる。強く大きなものは下位で、柔らかく弱いものは上位になる。
【天道第七十七】天の道は其れ猶お弓を張るがごときか。高き者は之を抑え、下き者は之を挙ぐ。余り有る者は之を損し、足らざる者は之を補う。天の道は余り有るを損して足らざるを補う。人の道は則ち然らず。足らざるを損して以て余り有るに奉ず。孰か能く余り有るを以て天下に奉ぜん。唯だ有道の者のみ。是を以て聖人は、為して恃まず、功成りて処らず、其れ賢を見わすことを欲せず。 |
【七十七】天の道は弓を張るようなものだ。高いところは抑え、低いところは持ち上げる。余れば減らし、足らなければ補う。天の道も余れば減らし、足らなければ補う。人の道はそうではない。足らなければ減らし、余っている方に納める。誰が余っているもので世の中に納めるだろうか。ただ道を修めた者だけがそうする。そのため聖人は、成し遂げても見返りを求めず、功績を挙げてもそれに留まらず、自分の賢さを示そうとしない。
【任信第七十八】天下に水より柔弱なるは莫し。而も堅強を攻むる者、之に能く勝る莫し。其の以て之を易うる無ければなり。弱の強に勝ち、柔の剛に勝つは、天下知らざる莫きも、能く行う莫し。故に聖人云う、国の垢を受くる、是を社稷の主と謂い、国の不祥を受くる、是を天下の王と謂う、と。正言は反の若し。 |
【七十八】天下において、水よりも柔らかく嫋(しな)やかなものはない。しかも堅くて強いものを攻めるのに、水よりも強いものはない。他に水の代わりになるものはない。弱いものが強いものに勝ち、柔らかいものが堅いものに勝つのは、全ての者が知っているが、これを行える者はいない。だから聖人は、国の恥辱を引き受ける者が、国の主君であり、国の災いを引き受ける者が、天下の王と言う。正しい言葉は、常識に反しているように聞こえるものだ。
- 柔よく剛を制す[柔之勝剛]
この世で水ほど弱く柔らかいものはない。しかし、時により水ほど、堅くて強いものに対し威力を発揮するものはない。最も柔軟なものが、最も強固なものに打ち勝つことができると説きます。
【任契第七十九】大怨を和すれば必ず余怨有り。安んぞ以て善と為す可けんや。是を以て聖人は左契を執りて、而も人に責めず。徳有るものは契を司り、徳無きものは徹を司る。天道は親無く、常に善人に与す。 |
【七十九】世の中の怨みを解いても、必ず怨みは残る。どうして善いことといえようか。そのため聖人は権利をもっていても、人を責めることはない。徳のある者は権利を司り、徳のない者は徴収する。天の道は分け隔てなく、常に善人に味方する。
【獨立第八十】小国寡民、什伯の器有るも用いざらしめ、民をして死を重んじて遠く徙らざらしむ。舟輿有りと雖も、之に乗る所無く、甲兵有りと雖も、之を陳ぬる所無し。民をして復た縄を結びて之を用い、其の食を甘しとし、其の服を美とし、其の居に安んじ、其の俗を楽しましむ。隣国相望み、鶏犬の声相聞こゆるも、民は老死に至るまで、相往来せず。 |
【八十】国は小さく、人口は少なく、便利な機器があっても使わないようにし、人は命を大切にし、遠くに移動しないようにする。舟にも車にも乗る必要がなく、武器も使い道がない。昔のように結んだ縄を貨幣とし、その食べ物を美味しいとし、その衣服を美しいとし、その住居に安住させ、その生活を楽しいとさせる。隣の国が見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が聞こえても、人々は老いて死ぬまで、お互いに行き来することはない。
- 小国寡民(しょうこくかみん)
国は小さく、人口は少ない。これが、老子の説く理想郷とされています。
【顯質第八十一】信言は美ならず、美言は信ならず。善なる者は弁ぜず、弁ずる者は善ならず。知る者は博からず、博き者は知らず。聖人は積まず、既く以て人の為にして己愈〻有し、既く以て人に与えて己愈〻多し。天の道は、利して害せず。聖人の道は、為して争わず。 |
【八十一】真実の言葉は美しくなく、美しい言葉は真実ではない。善人は雄弁ではなく、雄弁な者は善人ではない。知者は博識ではなく、博識な者は知者ではない。聖人は貯め込まず、何もかも人のために施しながら、自分は充実する。何もかも人に与えながら、自分はますます豊かになる。天の道は恵みを与えるだけで、何も損なうことはない。聖人の道は、何かを成し遂げても争うことはない。