禅宗とは

/仏教

概要

禅宗は、修行の中心を坐禅に置く宗派で、6世紀の中国で成立しました。日本へは13世紀に伝わり、曹洞宗・臨済宗・黄檗宗は日本十三宗の1つとなっています。

  • 時代:6世紀~
  • 宗祖:達磨
  • 所依:般若経、法華経など

釈迦から数えて二十八祖の菩提達磨(ボーディダルマ)が中国に渡り、中国禅の始祖となりました。達磨については、嵩山少林寺での面壁九年などの逸話が残っています。禅宗として確立したのは、五祖弘忍(7世紀)以降であるとされています。

禅宗は、中国において発達した坐禅を基本的な修行形態とする大乗仏教の宗派の総称で、「禅宗」と呼称され始めたのは唐代末期からとなります。尚、達磨が伝えた禅は、部派仏教における禅とは異なり、了義大乗の禅とされています。

法系

達磨から六祖までの法系は以下になります。

菩提達磨(始祖)-慧可(二祖)-僧璨-道信-弘忍(五祖)-大鑑慧能(六祖)

五祖弘忍には、神秀と慧能という優れた2人の弟子がいました。神秀は修行を通じて徐々に悟得する「漸悟」を規範としたのに対して、慧能は一足飛びに悟得する「頓悟」を主張しました。彼らの一派は北宗と南宗として分裂しますが、最終的には慧能が六祖に定まりました。

代表的な五家七宗は全て慧能の一門から輩出されています。五家とは、曹洞宗・雲門宗・法眼宗・臨済宗・潙仰宗の5つです。

曹洞宗:慧能-青原-石頭-薬山-雲巌-洞山良价(曹洞宗開祖)
雲門宗:慧能-青原-石頭-天皇-龍潭-徳山-雪峰-雲門文偃(雲門宗開祖)
法眼宗:慧能-青原-石頭-天皇-龍潭-徳山-雪峰-玄沙-桂琛-清涼文益(法眼宗開祖)
臨済宗:慧能-南嶽-馬祖-百丈-黄檗-臨済義玄(臨済宗開祖)
潙仰宗:慧能-南嶽-馬祖-百丈-潙山-仰山慧寂(潙山と共に潙仰宗開祖)

尚、五家に臨済宗から分かれた楊岐派と黄龍派を加えて、七宗と呼ばれています。

楊岐派:臨済-興化-南院-風穴-首山-汾陽-石霜-楊岐方会(楊岐派)
黄龍派:臨済-興化-南院-風穴-首山-汾陽-石霜-黄龍慧南(黄龍派)

日本の禅宗は、曹洞宗・臨済宗・黄檗宗の3つです。

曹洞宗:洞山-(11代)-天童如浄-道元(日本曹洞宗開祖)
臨済宗:黄龍-(6代)-虚庵懐敞-明菴栄西(千光派・建仁寺派)
臨済宗:楊岐-(8代)-虚堂智愚-南浦紹明(大応派)
黄檗宗:黄檗-・・・-隠元隆琦(日本黄檗宗開祖)

教義

四聖句

達磨の四聖句では、言語的・論理的な理解を否定し、むしろそれらを煩悩(苦)の原因とし、坐禅を中心とした修行を通じ、無分別の智慧に到達することの重要性を説いています。

  • 不立文字(ふりゅうもんじ)
    悟りは文字や言葉では伝えることができないという意味
  • 教外別伝(きょうげべつでん)
    悟りは心から心へと直に伝えられるものだという意味
  • 直指人心(じきしにんしん)
    本来もっている自分の本性(仏性)を体得せよという意味
  • 見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
    本来もっている自分の本性(仏性)になりきるという意味
二入四行論

「二入」とは、修行の始め方の分け方です。

  • 理入(りにゅう):知識の習得から入る方法
  • 行入(ぎょうにゅう):実践から入る方法

更に「行入」には、4つの実践段階があると説きます。

  • 報冤行(ほうおんぎょう)
    実践の第一段階。煩悩を捉われず、人間としての根本問題に返ること。
  • 随縁行(ずいえんぎょう)
    実践の第二段階。自らの周囲にある縁に従って行ずること。
  • 無所求行(むしょぐぎょう)
    実践の第三段階。煩悩捨て去り、無心になって行ずること。
  • 称法行(しょうぼうぎょう)
    実践の第四段階。道理と合致して、自ら法と一体となって行ずること。

日本の禅宗

禅宗は、日本に13世紀(鎌倉時代)に伝えられました。臨済禅は中国に渡った栄西が日本に請来したことから始まり、曹洞禅も道元が中国に渡り印可を得て帰国したことから始まります。臨済宗と曹洞宗、そして臨済宗から独立した黄檗宗は日本十三宗に数えられています。

臨済宗

同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、臨済宗は、鎌倉幕府や室町幕府などの武家政権に対して広まりました。室町文化の形成にも大きな影響を与えましたが、その後は次第に衰えて行きました。

江戸時代になって、白隠よって臨済宗が再建されたため、白隠は中興の祖と呼ばれており、現在の臨済禅は白隠禅とも言われています。現在では、臨済宗は十五派に分かれています。

臨済宗では、坐禅を行うことによって悟りを得ることを目的としています。ただ座禅をすればよいのではなく、師が公案(禅語録)と呼ばれる課題を弟子に出し、感覚的あるいは身体的体験により真理を究明する看話禅(かんなぜん)が行われます。

曹洞宗

道元は、中国の天童山で曹洞宗の天童如浄に師事して開悟(身心脱落)して、1227年に帰国しました。道元の著作には「正法眼蔵」や「普勧坐禅儀」があります。「修証義」は、在家信者への布教のため、「正法眼蔵」から抜粋しまとめられてものです。

道元は特定の宗派名を称することを禁じましたが、第四祖瑩山の頃から「曹洞宗」という呼称を用いられるようになりました。同じ禅宗の臨済宗が時の中央の武家政権に支持されたのに対し、曹洞宗は地方武家や豪族、一般民衆に広まりました。

曹洞宗では、各人が坐禅により万法に証せられる(悟る)ことを重要とします。曹洞宗の坐禅は、ただひたすら坐禅を行う只管打坐(しかんたざ)であり、悟りを得るために坐禅をするのではなく、坐禅する姿そのものが悟りの姿であるとされます。

 

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